「両脚をなくしたソワンタさんの挑戦」講演録

こちらの記事は、2014年11月13日に投稿した記事の再掲です。地雷によって両脚を失い、一度は生きる希望を失いながらも、多くの地雷被害者を支援するNGOを立ち上げたセム・ソワンタさんの半生をお届けします。

10月21日〜30日にかけて行った地雷被害者によるスピーキングツアー「両脚をなくしたソワンタさんの挑戦〜カンボジア・地雷被害者支援の現場より〜」では、多くの方にソワンタさんの話を聞いていただきました。来られなかった方にもソワンタさんの挑戦について知っていただければと講演内容を一部ご紹介します。


皆さん、こんにちは。私はセム・ソワンタと言います。カンボジアのNGO「アンコール障がい者協会(AAD)」の代表です。

私は1982年に兵士になりました。1979年までカンボジアを支配していたポル・ポト政権により、父が殺され、政権を追われたポル・ポト派が憎くくて、当時の政府軍に入ってポル・ポト派と戦いました。

ですが、1990年の戦闘中に地雷被害に遭いました。爆発の瞬間、吹き飛ばされた火薬が鼻から入ってきて呼吸ができなくなりました。足が吹き飛び、とても痛かったです。

とっさに自殺しようと、持っていた銃を自分の頭に当てましたが、仲間の兵士が私を力ずくで止めたので、現在も生きています。

出血が止まらず、12時間かけて病院へたどり着きました。

なぜ自殺しようと思ったか。これ以上生きていてもしょうがないと思ったからです。これまで地雷の被害に遭った人たちが物乞いをしている姿を見ていて、自分もそうなるのが怖かったのです。

病院を出て故郷へ戻りましたが、ポル・ポト派が私を捜していました。私は兵士の時は大佐の地位にいて、500人の兵士を指揮していました。命の危険を感じて、故郷にも長くいることができませんでした。

そこで、私は首都のプノンペンへ移りましたが、頼る人もいなくて、あまりの空腹に物乞いをするようになりました。その後はカンボジアの国内と点々としながら、物乞いをしていました。

ある日、私が学校の横を通りかかると英語が聞こえてきました。校舎には小さな穴が開いていて、のぞき込むと英語の授業をやっていました。

これからは英語が必要だと考えて、穴越しに授業を聞き、そして独学で勉強しました。

そんな私を見て、周りにいた地雷被害者は、反対しました。そんなことをしているなら、飢えの心配をしろと。

でも私はあきらめませんでした。独学で勉強を始めた背景には、地雷被害者も社会の一員としてみとめられたいという思いがありました。

物乞いで貯めた資金で、小さな商売を始めました。朝早くに出発し、アンコール・ワットまで片道30キロほど、重い車いすをこいで、観光客向けに商売をしに行きました。

大変な重労働でしたが、結果として満足でした。収入も増えて家族も養え、自分もこれから生きていけると思ったからです。

物乞い以外にも、生きて行く道はあるということを他の地雷被害者にも知って欲しいと思って、地雷被害者に向けて支援をしようと決めました。

私は地雷被害者に観光客を相手に商売をすることを勧めました。でも、みんな英語を知りませんので、私は商売に必要な簡単な英語をみんなに教えました。

そうやって1人で支援を始めましたが、支援が必要な地雷被害者はたくさんいたので、自分1人では限界がありました。そこで、私はNGO「アンコール障がい者協会(AAD)」を立ち上げました。

私は最初にAADのロゴを作りました。ロゴには両脚を失った私と、その横に私の友だちで片脚を失った男性が描かれています。

そして真ん中にはバイヨン寺院(アンコール遺跡の1つ)にある仏像があり、人々を助けるという意味があります。その上には太陽があって、救いの手が世界中から差し伸べられますようにという思いを込めています。

ソワンタさんがつくったアンコール障がい者協会(AAD)のロゴ

その後、AADを支援してくれる人たちが増えていきました。

2006年からはピースボートにも支援をしてもらっています。今は障がい者が手に職をつけて、経済的に自立できるように行っている、木工彫刻のトレーニングプロジェクトに資金面で協力してもらっています。

また、カンボジアの伝統的な音楽グループをつくりました。

物乞いをしている人たちは、子どもを連れて行きます。子どもを使って物乞いをするのです。

楽器を演奏できるようになって、物乞いではなく音楽で収入を集めるようになりました。それで得た収入で、子どもを学校に通わせるようになりました。

今回日本に来て、子どもが教育を受けることができていて、有能な人材が育っている国だと感銘を受けました。子どもへの教育はとても重要です。

AADでは、地雷被害者や障がい者に自立のための様々なトレーニングを支援してきました。私たちは支援が必要な人々の所まで行って、訓練を受けるように誘っています。

彼らはどこでどんな支援をしているか、情報がないのでわかりません。私たちは被害者を説得してAADまで連れてきます。

物乞いをしている人たちがほとんどです。物乞いだけでなく、できることがあるということを知って欲しいです。

でも、まだまだ資金面は大変です。これからもAADが支援を続けていくために、地雷被害者のことやAADを広めていく活動を続けて行きたいです。

日本は障がい者が快適に過ごす環境が整っています。電車やバスでも、車いすに対応してくれます。私が恥ずかしい思いをしないように、駅員さんが助けてくれました。

カンボジアも地雷被害者にとって快適に、差別を受けることなく、過ごして行ける環境を作っていきたです。


最後にソワンタさんよりメッセージです。

「世界、そしてみなさんに向けて、心の中に平和をつくってください。戦争をしている国、特にアメリカに対して、戦争をやめなさい。地雷をつくっている人たち、作るのをやめなさい、そして地雷被害者への支援をしなさい。

復讐を考えることなく、みんなで幸せを考えていきましょう。

戦争は人々への影響だけではなく、人間の尊厳、産業、インフラ、環境をも破壊します。日本は原子爆弾を落とされた国ですから、それをよく知っていますね。

世界から戦争をなくすために、みんなで考えていきましょう。」

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