「僕たちは地雷をなくすことができる」讃井悠介

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACに関わるスタッフをご紹介します。今回は、ピースボートセンターふくおかで地雷除去のための募金活動に関わる讃井悠介です。

讃井悠介 Sanui Yusuke(通称:さんこん)

福岡県福岡市出身。

小学生の時からサッカーをやっていたので、やることも観ることも好きです。

また世界遺産にも興味があり、実際に行ったり勉強したりと、ピースボートの地球一周クルーズに乗船するときも世界遺産の紹介企画をやっています。

100か所以上の世界遺産に行きましたが、まだ行けてなくて死ぬまでに行きたい場所は、南米ベネズエラにあるカナイマ国立公園と、アフリカ大陸のエチオピアにあるラリベラの岩窟教会群です。

大切にしていることばは、「笑顔は言語の壁を越える」。

僕は普段はピースボートセンターふくおかに居て、街頭募金などでP-MAC活動に関わってきました。

「カンボジアの為に動きませんか?」

僕が、P-MACを知ったきっかけは約14年前。2007年2月中旬にピースボートのことをお店に貼ってあった「地球一周の船旅」ポスターで知り、その1週間後に参加したボランティアスタッフ説明会の時でした。

ピースボートのボランティアスタッフになると、ボランティア活動した分だけ地球一周の船賃の割引を受けることができます。

地球一周したくて説明会に参加しました。そこでNGOピースボートについて、船旅で行く航路について、そしてボランティアスタッフの活動内容について話してもらいました。

その時に、ピースボートがカンボジアの地雷除去を支援していることを知りました。

でも僕は、サッカーボールを支援物資として世界の国々に届ける「ピースボールプロジェクト」に惹かれていました。僕の大好きなサッカーに関する活動だったからです。

1時間ほどの説明会後に、僕の方に向かって1人の若い女性がとことこと近づいてきました。

そして一言。「今から募金するんですが、一緒に行きませんか?」。

地雷のことやカンボジアの歴史のことを知らない、ましてやピースボートのこともたった今知った僕に対して、彼女は真っすぐな目で見ていました。

説明会での内容は正直あまり記憶にありませんでしたが(笑)、その誘ってくれたボランティアスタッフの方から言われた「カンボジアの為に動きませんか?」という一言が記憶に残っています。

「カンボジアの為に僕が何を?」と心では思いましたが、その一言で遠い海外のことを身近なこととして捉えることができたのです。

「悪魔の兵器」地雷をなくしたい

福岡県の中心部、天神のど真ん中で約1時間の募金活動。

周りのボランティアスタッフの先輩方は大きな声で、そして色んな表現で募金を呼び掛けていましたが、僕は募金自体も初めて、さらに何の募金をやっているのかよく分かっていなかった(笑)ので、1時間とにかく「募金お願いします」とだけ言っていました。

そしてセンターに戻って集計作業をすると、なんと1万円以上集まっていました。

見ず知らずの道行く人々が、こんなにたくさん募金してくれた。募金活動をしていたボランティアスタッフたちの想いが伝わったことが、金額以上に感動しました。

そして、募金に誘ってくれた女性が僕の所に来て、「この募金をカンボジアに送ると、現地の地雷除去団体が1つ1つ地雷をなくしてくれます。ありがとうございます」とお礼を言ってきました。

募金をやる前は「カンボジアの為に動きませんか?」という一言でやってみようと思いましたが、この目の前にある募金で1つの地雷、また1人の人生を変えることができるんだなと実感することができました。

カンボジアで除去された地雷

僕はそこから毎日ピースボートセンターに通っては、カンボジアの地雷問題や地雷廃絶キャンペーンP-MACの活動について教えてもらいました。

内戦が終わって数十年経った今でも多くの地雷被害があるということ。地雷は人を殺さずに人に怪我を負わせて、その怪我した兵士を救助するために何人も人手を取らせるもの。

身体の一部を吹き飛ばして恐怖心を与えることで、身体的にも精神的にも攻撃をするため「悪魔の兵器」と呼ばれていること。地雷は1つ数百円で作ることができること。

このような事実を知ったときは衝撃を受けました。

P-MACの募金活動に夢中でした

カンボジアの地雷除去現場

募金活動を初めてやった日から1週間後、数名のボランティアスタッフが集まって同じ場所で街頭募金をやりました。

この日も多くの人に募金していただき、すっごい達成感と同時に喉の枯れもやってきます。

しかしそこまで大声を出し続ける事ができるのは、地雷問題やP-MACの活動のことを知っていき、そのことを伝えたいなと感じているからでした。

僕は、カンボジアの地雷をなくしたいという気持ちと、僕たちが動くことで募金に協力してくれる人々がいるという自信から、それまで週に1回だけだった募金活動の回数を増やしていきました。

ピースボートのボランティアスタッフは、学生もいれば、仕事をしている人もいます。誰がいつピースボートセンターに来るのか分からないので、「今から募金できる?」とひたすらみんなに連絡して募金活動をしていました。

ある日、一番最初に僕を募金に誘ってくれた女性と2人でやったことがありました。さすがに2人で大声を出すと30分ほどしか持ちませんでした。

そこから最低3人集まった日はやると決めました。ただ、一度男3人だけでやった募金の日だけ何故かいつもの半分ほどの金額しか集まらなかったので(悲)、メンバーのバランスも影響するんだなと知りました。

募金活動を続けていると、コツをつかんできました。どうしたらより多くの人に募金してもらえるか、いろいろ考えました。

冬場は暗くなるのが早いので開催する時間を早めたり(夜遅い時間の募金は入れる方も入れにくいですよね)、信号が変わるタイミングを見計らって呼びかけをスタートしたり(赤信号で止まっている方々にじっくり地雷問題と僕たちの活動を伝えます)、言葉の一文字一文字を変えてみたり(いかにわかりやすく的確に伝えることができるかが大事です)…。

小さな小学生くらいの子が自分の財布を大事そうに持ってきて募金箱に入れてくれたり、いかついお兄さんが無言で近づいてきてお札をいれてくれたり、色んな出会いがありました。

毎回、募金後には反省会を開き、次に向けてのイメージトレーニングをしました。

日本最大級のお祭り「博多どんたく」で街頭募金

とても思い出に残っている街頭募金は、ゴールデンウィークにやったことです。

博多のゴールデンウィークは「どんたく」という、その期間に日本で最も人が集まるお祭りが開催されます。

そこで募金をやったら、一気にたくさんの人に、またピースボートセンターがない県外の人にも、カンボジアやピースボートのことを知ってもらえるとみんなで話して計画しました。

通常祝日はピースボートセンターはお休みなんですが、スタッフの方にもお願いしてセンターを開けてもらい、祭りが終わった直後に募金活動をやりました。

参加したボランティアスタッフは普段より多い約20名。2か所に分かれ実施しました。

人でごったがえす中、2時間続け、集まった金額がなんと20万円。この達成感が14年経った今も僕に活力を与えてくれています。

「お茶しよう」くらいの感覚で地雷除去の募金活動に誘ってくれるボランティアスタッフ、ピースボートに来たばっかりの僕の呼びかけに応じて一緒に募金活動してくれたボランティアスタッフ、そしてボランティアスタッフがやりたいことをできる限りサポートしてくれる専従のスタッフ…。

ピースボートって、ホントいい場所です(^^)

カンボジアにいつか行くんだ!

ピースボートの地球一周の船旅では、P-MACが地雷除去支援をしているカンボジアの村を訪問する「カンボジア地雷問題検証ツアー」があります。

僕がピースボートのボランティアスタッフになった時、実は僕の手元には僅かながらのお金しかありませんでした。

ボランティアスタッフ活動をすることで船賃の割引を貯めて、地球一周クルーズには参加することができましたが、お金のない僕は地雷ツアーに行くことができませんでした。

僕の想いはツアーに参加する仲間に託したつもりでしたが、実際地雷ツアーから帰ってきた彼らの感想を聞くと、充実したツアーだったことが伝わってきて、自分自身が行かなかったことを後悔しました。

「いつかカンボジアに行くんだ!」と心で決め、地球一周後も毎週募金の時間にピースボートに行って募金活動をおこない、そしてピースボートの専従スタッフになってからも続けていました。

まだ行ったことのないカンボジアに想いを馳せながら。

カンボジアで見つけた 僕が募金活動を続けてきた証

それから8年…。

時間はかかってしまいましたが、「カンボジア地雷問題検証ツアー」に同行するスタッフとしてカンボジアの地を訪れることができました!

キリングフィールド

ツアーでは、キリングフィールドと呼ばれる多くの人々が処刑された場所や、地雷の被害に遭った方が訓練するリハビリ施設、地雷博物館や地雷爆破の現場など、これまでの人生で見ることも行くこともできなかった多くの学びや気づきがありました。

一番心に残っているのは、地雷が埋まっている村の小学校を訪問した時のことです。

街中から2時間以上ガタガタ道を進んだ場所にあった、コーケー村とスナハイ村。

ピースボートが長年支援をしているこの2つの村には、P-MACの募金で地雷除去と学校建設がおこなわれた小学校がそれぞれあります。

子どもたちの笑顔と眼差しは一生忘れることができません。

そして僕が特に感動したものが小学校の傍らにぽつんとありました。

「PEACE BOAT」と彫られた学校の門。

これこそが、僕が長年募金を続けてきた証なのだと…。

地雷がなくなって子どもたちが安心して通える小学校がここに建っているのは、たしかに僕たちが募金活動を続けてきたからだと…。

もちろん小さな力ですが、続けていくと、沢山の幸せが生まれるんだと感じることができました。

今こそ支援を続けることが大切

地雷除去した小学校で遊ぶ子どもたち

支援の方法は色々ありますが、実際どのように現地で使われているのか、あるいはきちんと届いているのかが見えにくいです。

例えば災害が起こった際も、多くの支援物資が集まりますが、現地に受け入れるキャパがないなど、勿体ないなと感じることがあります。

ほんとうに支援が必要なところに適切な支援をすることが大事だと思います。

しかし、今行き来がしづらい世の中になってしまい、支援が以前よりも少なくなっています。

今こそ助け合いが必要だと感じます。

是非みなさん、街頭募金をやっている人が居たら是非耳を傾けてみてください。そこから何か始まるかもしれません。

そして、P-MACも地雷除去支援を続けていきます。

讃井悠介

オンラインショッピングで地雷除去を支援

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