地雷除去したコーケー小学校の現在

第84回ピースボート「地球一周の船旅」は10月12,13日にカンボジアに寄港しました。ピースボートがカンボジアに入港するのは16年ぶり!前回入港した時は復興がスタートしたばかりで内戦の爪痕が残るカンボジアでしたが、現在は経済発展が進み、首都のプノンペンでは高層ビルの建設ラッシュ。外国企業の進出も進み、活気のある街になっています。

同時に貧困格差が急激に広がり、プノンペンの中にも多くのスラムが存在します。そして農村部やかつて紛争の激戦地だった村では、今も人々が貧しい生活を送っています。

第84回クールーズでおこなったスタディーツアー「カンボジア地雷問題検証ツアー」では、そんなかつての激戦地だったコーケー村の小学校を訪問しました。

コーケー村の人々は、内戦中は他の場所に避難していました。戦後、人々が戻ってきた時には村中に地雷が埋められていました。人々は安全が確認されたわずかな土地に家を建て、田畑をつくり暮らしていました。村の人たちは「内戦中と生活はほとんど変わらなかった」と言います。

P-MACでは2005年からコーケー村の地雷除去を支援しています。一番初めに行なったのは地雷除去とその土地への小学校の建設です。コーケー村はジャングルの中にある小さな村で、これまで小学校がありませんでした。一番近くの小学校までも遠くて通えないために、村の子どもたちは学校で勉強することができませんでした。

そして現在、コーケー村のほとんどの子どもたちがこの小学校に通っています。地雷の脅威がない安全な学校ができたことで、他のNGOが教育支援を始め、先生の研修や図書館の運営をしています。

2005年に学校ができた時は、初めて見る外国人に緊張した顔を見せていた子どもたちですが、今ではピースボートの訪問を楽しみにしてくれています。かつては地雷原の森だった現在の小学校では子どもたちが元気に走り回り、バレーボールを楽しんでいます。

学校教育を受けてこなかった親の世代の人々にとって教育の重要性を理解することは今でも難しいことです。読み書きができるようになると、勉強はもう十分だと親が小学校をやめさせて、農作業を手伝うようになる子どもも多くいます。意識を変えていくことはこれからも長い年月が必要となりますが、ここ数年は村から離れた中学校へ進学する子どもも出てきました。

学校ができて、村の戦後復興もスタートしました。子どもたちが勉強できるようになったことは一番大きな変化ですが、村人も学校のためにみんなで集まって協力することが増えました。村のために人々が協力するようになりました。ポル・ポト政権時代は密告社会でお互いに信頼して話し合うことはできませんでした。そのような時代を経験した人々にとってはとても大きな変化です。

安全な広い「場」ができたことでコーケー村は未来に向かって少しずつ、確実に歩んでいます。

P-MACではコーケー小学校以外にも通学路や保健所のための地雷除去など、コーケー村での地雷除去を支援しています。

P-MACではカンボジアの地雷除去のための募金活動「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」を行っています。地雷原に暮らす人々が安心して生活できるよう、募金にご協力ください。

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