ピースボート地球一周の船旅 Voyage119 内でカンボジア地雷問題検証ツアーを開催しました。
Voyage119が寄港した香港からシンガポールまでの区間船を離れ、4泊5日でカンボジアを訪問しました。
今回は10~80代の18名の方にご参加いただき、とても内容の濃い5日間となりました。
ツアー後には、ピースボート船内で報告会を開催しました。ツアー参加者のみなさんが学んだこと、体験したこと、そして感じたことを一人ひとりの言葉で伝えてくださいました。
報告会の内容を抜粋して、2回に分けてご紹介します。第1弾の今回は、地雷について学べる博物館とポル・ポト政権時代の処刑場であるキリングフィールド、義足を作成しているセンターを訪問したときの様子を報告します。
CMAC地雷博物館

地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」の博物館を訪問し、館長から活動内容の説明を受け、見学しました。
CMACは30年以上地雷や不発弾の除去活動を行っていて、職員数は3,000人を超えます。
地雷による死傷者数は1999~2005年まで年間825人から1153人でしたが、その後は減少傾向で、2006年には450人、そして2022年は44人、2023年は32人まで減少しました。(※最新情報では、2024年の死傷者数は49人と発表されています。)

この博物館は以下のような目的のために作られました。
- 新しい若い世代に平和の精神を根付かせること
- カンボジア内戦の歴史を教育すること
- 地雷除去後の国の発展の道しるべとすること
- 再調査、国際研究、歴史、将来の発展への研究材料を提供すること
事実に即して展示されていて、戦争の恐ろしさが感じられる場所でした。

博物館内には、実際の地雷原を再現した展示があり、このような広大な土地のどこかに地雷が埋まっていると考えると恐ろしくなりました。
橋脚の基礎部分から多数の爆弾が発見されたり、爆弾によりゾウが1列に並んで5~6頭入る大きな穴ができたり、大量に人を殺傷するクラスター爆弾など、想像をはるかに超えるものでした。
地雷や不発弾は①地面の上にあるもの、②地中にあるも、③水中にあるものに分類されます。
地上や地中にあるものは順次除去されてきていますが、水中にあるものはまだほとんど除去が進んでいません。重機を使ったり手作業で行なわれていますが、手探り状態のため今後の課題となっています。

戦争や争いによって、憎しみ合っていない人々が傷つけあい殺しあうことの恐ろしさと、戦いが終わった後も地雷等により、民間の人々が傷ついていることを考えると、悲しくなりました。
現在、私たちはウクライナやガザの状況をニュースなどで目にしますが、同じような状況と想像できます。
意図的にそこに住む住民を抹殺しようとしているとしか思えない行為です。このような状況をもたらす戦争は何としても起こしてはならないと強く感じました。
そして、地雷は最後の一つまで除去しない限り人々が傷つくことになるため、地雷除去活動は重要で大変なものだと感じました。
キリングフィールド

1975年から1979年までのポル・ポト政権時代、カンボジア人口約800万人の内150万人に及ぶ人々が亡くなりました。
ポル・ポト政権が人々を虐殺した場所をキリングフィールドといいます。私たちはシェムリアップでその一つを訪れました。
簡素な木造の資料館の中には当時の色褪せた写真や、ポル・ポト派の残虐な行為を描いた絵などが展示されていました。

ポル・ポト政権は、自分たちに反対すると疑われる人々を家族と共に捕らえて虐殺しました。
上の写真はポル・ポト政権による人々の拘束、拷問、処刑について描かれた絵と、左の絵にある拘束に使われた足かせです。隙間なく足かせをさせられ土間に寝かされている様子が見えます。

ここには集団生活で供された食事の例が展示されていました。農作業や土木工事などの強制労働をさせられた人々の食事です。
直径1mほどの鍋に入れられた50人から60人分の食事です。右上は「おかゆ」で具はバナナの茎、パパイヤの根、下は「スープ」で、具はカニ、カタツムリ、スイレン、昼顔です。
殆ど水のような食事といえるでしょう。飢えや病気で多くの人々が亡くなりました。

これは殺戮の井戸と呼ばれています。井戸の横で首を切り落とした後、井戸の中に突き落としたそうです。言葉を失うばかりです。

殺害された人々を追悼するため、1997年にはここにお寺が建てられました。残虐行為の犠牲者を慰霊する塔もあります。塔の四面は犠牲者の遺骨で埋め尽くされていました。
ポル・ポト政権による処刑場であるキリングフィールドは確認されているだけで国内に388か所あるそうです。犠牲になった方々に安らかな眠りと正義がありますようにと祈りました。
シェムリアップ州立リハビリセンター

シェムリアップ州立リハビリセンターは地雷被害者や交通事故、病気などで義肢装具が必要な患者さんに向けて、義肢装具の作製や歩行訓練などのリハビリを行なう施設です。
センターの歴史や概要の説明を受けた後、施設内を見学しました。
このセンターのスタッフは20名でその内リハビリの資格を持っているのは1人だけです。
その方を中心にそれぞれの患者に合わせたメニューを作成して、スタッフがサポートしながら自立を目指すという事でした。
スタッフの中にはミャンマーから勉強に来ている間に故郷が内戦状態になってしまい、そのまま帰国せずにここで働いている方が2人いました。東南アジアの現実の問題の一端を垣間見た気がしました。

義肢装具作りは、型取りに始まり樹脂を2種類使い、真空ポンプやオーブンによる加熱で成形します。本当に手作りです。
現場は有機溶剤のような臭いが強く、じっと立っていると汗がポタポタ流れてくるような環境でした。
ある男性スタッフは自分も義足を使っているということで、上手に使いこなしている所を見せてくださいました。

義手や義足は体重の変化や切断した手足の形が変わったり、長年の使用や激しい仕事による劣化、子どもの場合は成長に合わせて度々作り直しが必要になるので、継続してセンターでフォローしています。
カンボジアの生活事情から、「農作業に従事ができる」ということが重要なポイントとなっています。
そのため深くしゃがんでも外れないように義足にベルトをつけて補強したり、先端が鎌になった義手もありました。
健康な時より効率は下がるけれど、「何より農作業がまた出来るようになって本当に助かっている」という声が多く寄せられているそうです。

患者は、交通事情が悪くてセンターまで通う事が難しいので、リハビリ中はセンター内の寮で暮らすことができます。
また子どもの場合は生まれつきの異常やポリオによる障害も多く、治すために装具を使う事がありますが、子どもは装具を嫌がって泣きます。
もし自宅に返してしまうと可哀想に思った親が装具を外してしまい、結果的に治らないというケースが出てきてしまうので、親も一緒にセンターに泊まってもらって治療をするそうです。
私たちが訪問した時にいた1人の患者さんが話をしてくださいました。ちょうど古くなった義足を直してもらうためにセンターに来ていました。
15歳の時に地雷で片足を失ってから現在46歳まで、義足を使って生活してこられた方でした。

義足は真ん中の胴の部分は5〜6年に1回くらいのペースで作り替えます。上部と下部は毎年替える必要があります。
新しい義足を作るのに約2週間かかります。内容にもよりますが、修理にも約1週間。実際に装着して歩いてみて調整に3日ほどかかります。
その間は寮に泊まり込みですが、義足を作ったり、リハビリを受けたりするのにかかる費用はもちろん、交通費や食費などの寝泊まりにかかる費用もすべてカンボジア政府が負担しています。
カンボジアでは、たゆみない努力により地雷除去が進んだこと、子どもたちへ地雷が危険だということを教え続けていることなどにより、地雷で手足を失う事故は減ってきています。
それに伴ってセンターの患者の比率も変わってきて、最近は交通事故や高血圧が原因で起こる病気の患者の比率が上がっていると聞きました。
日本にいては知ることのなかったカンボジアのリハビリ事情。過去を乗り越えて、ゆっくりながらも力強く前に進んでいく底力のようなものを肌で感じた時間となりました。
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