ピースボート地球一周の船旅 Voyage119 内でカンボジア地雷問題検証ツアーを開催しました。
ツアー参加者による報告会の内容を抜粋して、2回に分けてご紹介します。第2弾は、地雷被害者を支援するNGO、地雷除去現場、そしてP-MACが支援を続けている村を訪問したときの様子を報告します。
アンコール障害者協会(AAD)

AADは、地雷被害者を中心とした障害者の社会的、経済的自立支援をおこなう現地のNGO団体です。職業訓練や、精神的なサポートを行っています。
わたしたちは設立者である、セム・ソワンタさんに話を伺いました。
ソワンタさんは1982年に、政府軍の兵士だった際に事故に遭いました。地面に置かれた物を足で移動させた際に、物の下にあった地雷が爆発しました。
爆発した瞬間、体が飛ばされて気を失いました。目が覚めて、起きて歩こうとしたときに両脚を失ったことを知りました。
先に行ったCMAC地雷博物館では、地雷事故直後の被害者を撮った写真を見ました。私たちの目の前で話しているソワンタさんが、同じような状況だったのかと思うととても言葉になりませんでした。
両脚を失った状態では生きていけないと、拳銃を頭にあて、自殺も考えましたが、その後病院で同じように被害に合った人たちと出会い、「これからカンボジアは平和になるから自殺はやめなさい」と沢山の人に支えられて思いとどまりました。

回復してから何が出来るか、仕事はどうするのかと不安になり、当時聞いていたアメリカのラジオをきっかけに英語の勉強を始めました。
当時、社会主義真っ只中のカンボジアでは、英語の勉強は禁止されていたため、堂々と勉強することはできず独学で身に着けました。
英語を話せるようになったことで、海外のメディアから被害に遭った時のことや、現状についてインタビューを受けるようになりました。
その中で出会った地雷除去団体に、除去のサポートをしてくれないかと声をかけられました。
除去作業は、両脚を失った自分には出来ないと一度は断りましたが、元軍人ということで、どこに埋まっているのかやどこで作られたものかなどの、知る限りの情報提供をすることで協力しました。
その後2003年には、今暮らしているシェムリアップに引っ越してきましたが当初は仕事もなく、車いすに乗って、アンコールワットに来た観光客向けにお土産の販売をしていました。
販売をしていたマーケットの周辺では、同じように障害を抱えながら販売する人、物乞いする人、中には家族で路上生活をしている人などが多くいました。
あるとき、障害を抱えながら物乞いをしていた人が、いじめられているのを見て助けなくてはいけないと考えNGO「アンコール障害者協会(AAD)」を設立しました。
設立当初はマーケットでのお土産販売や、伝統楽器の演奏などで支援金を集めていました。
現在もお土産の販売を続けていて、私たちもいくつか購入しました。

自分の生活も苦しい中、同じ境遇の人を助けたいと思い行動する姿勢に素直に感動したと同時に、私が同じ状況に陥ったとき、その選択をする勇気はあるのだろうかと感じました。
これまで地雷被害者を対象にした農業や伝統的な木工彫刻トレーニングの支援、地雷の被害を受けた子ども向けの小学校の設立、シッティングバレーボールチームの育成など様々な活動を行なっています。
そんなAADですが、2020年のコロナで多くの支援が止まってしまいました。それまで支援してくれていた団体のうちコロナ明けに戻ってきたのは、ピースボートのみだそうで、団体の活動を継続するための資金が足りず厳しいのが現状です。

ソワンタさんからお話を聞いた後に、スポーツを通して被害者たちの自信に繋げようという活動のひとつであるシッティングバレーを一緒にしました。
AADのシッティングバレーチームは2024年10月に行われたカンボジアの大会で3位になり、満面の笑みでメダルをみせてくださいました。
皆さん、壮絶な経験をしているとは感じさせないとても力強いプレーをされていて、前を向いて進んでいるんだと感じたと同時に、もし被害を受けていなかったらさらに才能を生かせたのではないかと考えてしまい、なんとも悔しい気持ちになりました。
地雷除去現場

「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」の地雷除去現場を視察しました。私たちが訪れた場所は2023年に世界遺産に登録されたコーケー遺跡群がある地域です。
コーケー遺跡群の周りは内戦中、ポル・ポト軍や政府軍が入れ替わりで拠点として使っていたため多くの地雷が埋まっています。
遺跡保護の観点から、重機を使っての作業は困難で、草木をかき分けて素早く作業が出来る地雷探知犬を使って地雷を探していました。
地雷探知犬は暑さに弱いので午前中のみの活動です。そのため、私たちはホテルを朝5時半に出発、3時間の道のりを得て現地に到着しました。

到着すると現場責任者より地雷原について、除去の状況、現場で使う標識や、安全についての説明を受け、ヘルメット、防弾チョッキを着用しました。地雷除去活動が行われているエリアに入っていきます。
着用した防弾チョッキは重く、炎天下では暑く、顔はアクリル板で覆われていて非常に息苦しかったです。

標識で安全エリアと危険エリアが示されていて、それを分けるのは1本の赤いロープだけです。
現場は整備された道ではないため、大きな岩が飛び出ていたりして足元が非常に悪く、躓いて転んだ先が赤いロープの向こう側、地雷が埋まっているかもしれない場所だったらと考えるととてもドキドキして脈拍が上がりました。

その先では地雷探知犬による、作業が行われていました。地雷が埋まっていると、火薬の匂いを検知してその場にお座りして、パートナーのCMAC隊員に知らせます。
今回訪れたエリアはこれまでの25日間で不発弾が3つ、地雷が3つ発見されていました。
現場は一見しただけでは本当にただの森で、豊かな草木の中のどこかに地雷があるというのがひたすらに怖く感じ、今思い出しただけでも恐怖が沸いてきます。

危険と隣り合わせで地雷除去活動をされている方々がいることにすごいなと感じたと同時に、このような現実があることをもっと広く伝えていかなくてはいけないと思いました。
コーケー小学校

地雷除去活動が行われているコーケー村の小学校を訪問しました。コーケー小学校は、ピースボートが2005年に地雷除去と校舎建設を支援した小学校です。
児童数は現在198人で、職員の数は校長先生を加えて8人です。
年中暑いカンボジアですが、冷房はないので昼間は暑すぎて集中ができないとのことで、授業は午前中だけです。電気は通っていないので、生徒は窓からの太陽光で勉強をしています。

コーケー小学校に着くと、ちょうど子ども達が運動場に集合して、地雷についての講習を受けていました。その説明をしていた人たちも地雷の被害者らしく、腕がない人もいらっしゃいました。
そのあとは子どもたちとの交流が始まり、私たちは折紙交流を始めました。

事前に作っていた完成品を見てもらって、「それ欲しい!」「作ってみたい!」という気持ちが起こったところでバラバラに分解しました。
「あーーー!」という子どもたちに、「自分で作るんやで!」と言いつつ、基本パーツをみんなで作ります。
「ここを折るんやで!」「そう、左のここ折るの!」「いや、それちがうで!」
不思議なことに大阪弁が通じます。
パーツができたら組み立てていき、たくさんの若労のあとに完成!
難しいことに挑戦して、やりとげた時の知的な満足感は全世界共通です。
基本パーツを組み立てていくことで、いろんな応用形ができる。何かをただ知識として受けとるのではなく、基本を学んでそこから世界を広げていく。そんな経験をして欲しくて準備していた交流でした。

この学校では40人くらいいる6年生で、中学校に進学できるのは4人ほどだと聞きました。
昨夜泊まったホテルと、目の前の子どもたちの生活との落差に愕然としながらも、どの子も自分の場所で、価価ある人生を追求して欲しいという思いを持ちながらコーケー小学旅を後にしました。
スナハイ小学校

コーケー小学校のあとは、近くにあるスナハイ小学校を訪問しました。
スナハイ小学校も元々地雷原だったのをピースボートが地雷除去と建設を支援して2016年に完成した小学校です。2021年にはEUやフランスの支援で新校舎も建設されました。
幼稚園生から小学校6年生まで合わせて201人の児童がいます。先生は8名いました。この学校にも電気や水道はありません。
交流が始まると子どもたちはとても元気でした。ローカルゲームを教えてもらい、言語が通じないなか、走り回って楽しみました。
知らない言語で教えてもらったゲームを楽しめるなんて思っても見ませんでした。
男の子に折り紙で作った飛行機を渡すと、自分の手で改造してノーマルより飛ぶ飛行機を作ってしまいました。
とても感心したと同時に、柔らかい頭を持っていても、環境一つで持っているものを伸ばせないというのはとても勿体無いことだと思いました。

遊び疲れた後、へとへとの状態で「みなさんいつもこんなに元気なんですか?」と校長先生に質問すると、「今日は暑いのでみんな元気がないんです」と言われて、あんなに走り回っていたのに!?と信じられませんでした(笑)。
日本から見ると「かわいそう」と思ってしまうこともありますが、実際に子どもたちに会うとすごく楽しそうで、「かわいそうだから助けてあげよう」ではなく、「もっと健康で勉強のしやすい環境を作れるよう協力したい」と思いました。

カンボジアでは地雷除去が行われていて、被害も減ってきていますが、まだ問題は多くあります。
街から離れた学校では、中学校に行ける子どもがとても少ないです。
子どもたちが安心して勉強し、進学し、ご飯に困らない、夜暗くなっても活動できる環境を支援を通して作ることが、私たちにできることではないでしょうか。
コメントを残す