2024年8月22~26日、ピースボート地球一周の船旅 Voyage118 内でカンボジア地雷問題検証ツアーを開催しました。
20~70代まで様々な年代の28名が参加し、カンボジアの地雷問題について学び、ピースボートが地雷除去支援をした村を訪問しました。
ツアー後には、ピースボート船内でツアー報告会を開催しました。参加者たちは短い時間の中でみんなで意見を出し合い準備を進め、来場者約350名の前で自分たちが見て感じたカンボジアの地雷問題を伝えました。
参加者のお一人、牛草文音さんが報告会の内容をまとめてくださいました。3回に分けてご紹介します。
今回は、ポル・ポト時代の虐殺の現場だったキリングフィールドと地雷博物館、そして地雷被害者との交流についてです。
キリングフィールド

キリングフィールド(Killing field)という言葉をきいたことがある方、キリングフィールドについて知ってる方はどれくらいいるでしょうか。
キリングフィールドという言葉は映画のタイトルにもなっているので、そちらでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
直訳の通り、キリングフィールドとは、多くの方が殺された場所を示す言葉です。1975~79年のポル・ポト政権下での虐殺の場所で、今では当時のようすを描いた絵や資料が展示されています。
そこで私たちは、ポル・ポト政権下で行われた残虐な様子を知りました。

まずはポル・ポト政権について簡単にご説明します。
1975年ポル・ポト政権が誕生します。ポル・ポトは急進的な社会主義政策を行いました。大まかに言うと、国全体を原始時代のような農耕中心の生活にすれば、格差もなくなるだろうと考えたのです。
この考えのもと、ポル・ポトは都市の無人化、農村への強制移住、集団生活の強制、市場・通貨の禁止、学校教育の廃止、宗教活動の禁止などを行いました。
これにより、教師や知識人、芸術家、僧侶、前政権関係者など自分に抵抗するであろう人々を次々と拷問ののち、虐殺していきました。

彼らだけにとどまらず、外国語を話す人は抵抗者だとみなされ、メガネをかけた人は知識人だとされて、手が綺麗な人は農作業をしっかりやっていないからだ、など理不尽な理由をつけられ殺される人も沢山いました。
その結果、ポル・ポト政権の3年8 ヶ月の間に国民の5人に1人が亡くなったと言われています。
キリングフィールドでは、逆さづりにされて棒で殴られたり、両手を縛り、ビニール袋をかぶせて失神させたりひどい拷問がおこなわれました。

殺された人々のご遺体はひとつの穴に10体ほど無造作に重ねて埋められ、衣服がそのまま骨と一緒に埋まっているところもありました。
キリングフィールドに行って、同じ人同士でありながらも拷問や虐殺が行える事に対して怖さを感じました。
同時に、ポル・ポト政権下の軍人がそうせざるを得ない状況にあったこと、彼らも逆らうと殺されるからやらざるを得なかったのだと思うと、ポル・ポト政治に対しての恐怖がいっそう高まりました。
また、人間は自分が正しいと思った行動は、歯止めが効かなくなることがあります。
自分のやっていることを正しいと思い込み、恐怖で国を統治すると誰も止めることは出来ないということを教訓として知り、同じ歴史を繰り返さないために、これからも私たちが考え続けていかなければならない課題だと感じました。
CMAC地雷博物館

カンボジアの地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」の博物館で、地雷除去の方法や、地雷問題の歴史について伺い、多くの地雷を見学しました。
展示室の初めには地雷やその他爆弾、銃などが置かれ、仕組みや使用方法などが紹介されていました。
地雷と一口に言っても沢山の種類があります。対人用、対戦車用、爆発すると当たり一面に破片が飛び散るものなど様々です。

後半はCMACの活動について紹介されていました。
CMACは、国民への地雷に関する教育活動や世界各地への地雷除去の訓練指導や技術提供にも力を入れています。
職員の方の話では、私たちが見学した1週間前に、ウクライナからのチームが地雷除去訓練を受けに来ていました。

カンボジアはオタワ条約(対人地雷禁止条約)の加盟国で、2025年までに国内の対人地雷をすべて除去する義務を負っています。都市部は除去が完了していますが、タイ国境付近ではまだ地雷が埋まった土地が残っています。
地雷除去に携わる方の話では、目標である2025年にはまだ地雷除去完了の目途が立っていません。しかし2030年には除去が終わりそうだというお話でした。
アンコール障がい者協会(AAD)

AADは、地雷被害者を中心とした障がい者の社会的、経済的自立支援を行う現地NGO団体です。
様々な職業訓練や、社会復帰のための精神的なサポート、障がい者スポーツの交流場や相談し合える居場所の提供、販売品の制作などを行っています。
会員になっている約20名の方々が私達の訪問のために集まってくれました。
今回お話を伺ったセンター⻑のセム・ソワンタさんは、ポル・ポト軍と戦う部隊の隊⻑でした。

彼は、戦場にて足で物をどかそうとした時、その下にあった地雷が反応し、爆発してしまいました。
自分の体を見ると片足がちぎれ、もう片方の足は切断せざるをえないほどボロボロの状態でした。絶望し銃で自殺をしようとしましたが部下に止められて思い留まりました。
その後彼は、地雷や戦場で怪我をした他の元兵士が経済的にも精神的にも追い詰められ、病死したり自死したりする姿を見てなんとかしなければならないと思い、この団体を作ったそうです。
しかし、団体の活動を継続するための資金や人手も足りず厳しいのが現実です。
話を聞いた後には、AADが力を入れているシッティングバレーを地雷被害者の方々と一緒にしました。シッティングバレーとは、座って行うバレーボールです。

一つのボールが国を超えて飛び交い、笑いと叫び声も飛び交う熱い熱い試合を繰り広げた結果、見事にピースボートチームは負けたのでした。スコアは6対10くらいでした。
AADの方々の明るく素敵な笑顔に、訪問した私たちはとてもエネルギーをもらいました。
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