ピースボートVoyage118「カンボジア地雷問題検証ツアー」報告 Vol.3

ピースボート地球一周の船旅 Voyage118 内で開催したカンボジア地雷問題検証ツアーの最後の報告です。

参加者のお一人、牛草文音さんが報告会の内容をまとめてくださいました。今回はピースボートが地雷除去と校舎建設を支援した2つの小学校を訪問した記録です。

ツアー報告第1弾はこちらから
ツアー報告第2弾はこちらから

地雷除去後につくられた2つの小学校

地雷除去現場の後で私たちが訪問したのは、カンボジア北部に位置するコーケー村の小学校です。内戦中は激戦地となったためコーケー村には多くの地雷や不発弾が残っています。

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACでは募金活動「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」で集められた募金によってコーケー村の地雷除去と小学校建設を支援しました。

その後も通学路となる道路などの地雷除去や老朽化した小学校の校舎補修の支援などもおこないました。

校門にはピースボートのロゴが入っており、誇らしく思いました。

もう一つの訪問地であるスナハイ村は、1986~89年まで4年程、軍事基地となり政府軍とポル・ポト派による戦闘のため多くの地雷や不発弾が残ったままとなっていました。

スナハイ村は各地で貧しい生活を送っていた人々が集まって2005年に出来た新しい村です。人々は移住してから周辺が地雷原だと知りました。

P-MACはこの村でも地雷除去や小学校の建設などの支援をしました。

それぞれ、シェムリアップから車で3時間ほど離れた場所にあり、周りには家などがなく、森の中にぽつんとあるような感じでした。周辺の道は赤土が舞う、でこぼこ道でした。

コーケー小学校の授業時間は朝の7:00から11:00頃までの4時間授業で、朝ごはんの給食が出るというお話でした。学校で食事が出るようになってから出席率が上がったそうです。

学校には、電気が通っていなくて校舎は少し暗い印象でした。窓はありますが窓ガラスはなく、雨風が凌げない為、掲示物にはビニールのような物も貼ってありました。

私たちが校舎に入ると日陰ではありますが、やはり教室はとても暑かったです。

建物は老朽化しており、建物が1部壊れてしまっていました。学校の先生や村長さんの協力で修理されていましたが、子供たちが安全に授業をするためにはもっとしっかりした修繕が必要な状況でした。

先生は、文房具や本などが不足していて、他言語でもいいのでもっとたくさんの絵本が必要だと言っていました。

交流の際は、子供たちとはバレーボール、サッカー、大縄跳び、折り紙、リコーダーなどで一緒に遊びました。

最初は言語が通じない不安があり、子どもたちも緊張した様子でしたが、次第に笑顔が増え、人懐っこく目がキラキラと輝いていました。

子供たちはカンボジアの言葉であるクメール語で話していますが、英語で「I love you」と話しかけてくれる子がいて、言語の違いはあっても交流を楽しむことが出来ました。

スナハイ小学校の方はEU とカンボジア政府の支援により新校舎が去年完成していて、とても綺麗でした。

また、LUSHから提供されたオーガニック石鹸をピースボートが届けていて、その石鹸を使うことで手を洗う習慣ができて、これまでに比べて7割ほど病気が防げるようになったそうです。

歯ブラシもみんなに支給されていてしっかり使っていたので、子どもたちの健康が守られていると感じました。

スナハイ小学校では、最後に子どもたちとの交流のお礼としてパンを1人1つずつ配りました。その時に手の洗い方を改めて子どもたちに伝え、みんなで石鹸で手を洗いました。

また、夏にあったピースボートのショートクルーズに乗っていた日本の子供たちが作ったメッセージをスナハイ小学校に渡しました。

今回、私達はコーケー小学校、スナハイ小学校を訪問してカンボジアの地雷除去後に建てられた小学校の現状を知りました。

校長先生のお話では「この学校はまだまだ支援が必要で、これからも支援をして欲しい」と何度も言われました。全てを支援することが正しい事だとは思っていませんが現状はまだ他国の支援が必要だと感じました。

しかし、国連やピースボートが行ってきた支援を今はカンボジアの政府が担ってきているようで、国としての自立を目指している事も分かりました。

そして、学校は建てて終わりではなく、継続したサポートや今後もコーケー小学校やスナハイ小学校の子供達が安全でしっかりした義務教育を受けていけるような環境作りを支援して行くことが必要だと思いました。

私たちは学校を訪問して、現状を知り学ぶ事も多くありましたが、交流もして子供たちが元気に遊んでいる姿を見てとても元気を貰いました。

安全な場所で生まれ育った私たちができること

これらはツアー参加後におこなった船内での報告会でお話しした内容を少しずつ抜粋したものです。

「私たちが今できることは何か?」を考えました。まず「自分達が見てきたものや、感じたことを伝えること」が大切だと思い、報告会を作り始めました。

ツアーに参加した20代~70代の参加者のほとんどが意見を出し合い、協力して報告会を作り上げました。

報告会には沢山の方が足を運んでくださり、350名が入れる会場は満席になりました。

そして、報告会後に募金のお願いをして、多くの方にご協力していただきました。報告会を通して自分から動いて伝えようと努力することの大切さを学びました。

報告会で会場の皆さんに語ったことを最後にお伝えします。

今、ここに立つ私たちはみんな、平和で豊かで安全な場所で生まれ育ちました。そのことを私たちは普段意識しません。あまりに当たり前のことだからです。

しかし、カンボジアでは違いました。

ポル・ポト政権下で家畜のように働かされ、むごい拷問を受け、人間としての尊厳を奪われて殺されていった人々。

掘り出された大量の地雷や不発弾。殉職した人々の顔写真。

暑いジャングルの中で重い装備を纏いながら、たった一歩分の範囲を慎重に探査する地雷除去員の姿。

泥だらけの道を何時間も裸足で歩き、ボロボロの木造校舎で学ぶ子供たちの姿。

どれも知識では知っていたとしても、現実のことだという感覚は持てていませんでした。

これを目の当たりにした後でさえ、そこにある彼らの痛みを、苦しみを、やるせなさを、全て想像しきることはできませんでした。

僕はそのことをとても悔しく思うと同時に、それが想像できない平和な世界に生きていることをとても幸せなことだと感じました。

私たちには責務があります。世界の現状に関心を持ち、機会があれば自分の目で直接見る責任が。

感じ考えたことをまとめ、人に伝える責任が。できることを可能な範囲で実行に移す責任が。

慣れない義足で畑を耕す農民の姿ではなく、地雷の無い祖国の姿であってほしい。

自分の足でボールを蹴ることができなくなった少年の姿ではなく、足元を恐れず未来へと踏み出す、カンボジアの人の姿であってほしい。

と、心から願うのです。

地雷博物館には、除去された大量の地雷で作られた、像のオブジェがありました。

僕はそこに、彼の国の人々の不屈さと強さを見ました。

悲劇の抜け殻で積み上げられた希望が今にも動き出そうとしていました。

カンボジアの地雷除去は、完遂まであと少しのところまで来ています。

この報告が社会や世界のことについて、ほんの少しでも皆様に考えてもらうきっかけになってくれたのなら、僕らが今日ここにたった意味は大いにあったと思えます。

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