みなさま、こんにちは。ピースボートスタッフの讃井悠介です。
8月に「カンボジア地雷問題検証ツアー」の準備とP-MACが支援しているところの視察を兼ねて、カンボジアに行ってきました。
はじめに訪問したのはカンボジアの首都・プノンペン。なかなかプノンペンを訪問する機会はないので、仕事の前にまず個人的に行きたかった「トゥールスレン虐殺博物館」を訪問しました。
ここは、かつてポル・ポト率いるクメール・ルージュが、多くの人々を虐殺、拷問をした場所です。ポル・ポトが政権を握った3年8か月と20日(1975-79年)の僅かな期間で、12,000人以上がここで拷問され、その後処刑されたと言われています。
ポル・ポト政権前は高校だったこの場所は、街中にありながら緑も多く、静かな場所に感じました。それをクメール・ルージュは、反革命分子とみなされた人々を拷問するための施設に作り替えたのです。
当時この場所は、周りの人々からは分からないような施設となっていて、発見された時の生還者はたったの12人だったそうです。
入口から入ったすぐの場所に、14基の白いお墓がありました。この数は、発見時にこの場所に14体の遺体が残されていたからです。
トゥールスレンは、高校の校舎を転用した4棟(A~D棟)の建物からなっていて、A棟には前政権の高官など特別な人物を収容する場所になっていたそうです。
各尋問室には、鉄製のベットが置かれていて、収容者は手足を鎖でつながれ尋問、拷問を受けていました。
傍らには、そのベッドが実際に使われ拷問、虐殺された方の写真もありました。ここが発見された時に撮影されたものです。
虐殺を受けた時の大量の血の影響なのか、床が赤くなっているように見えました。
他の棟には、当時1人1人が収容されていた小さな独房が残されています。またここに収容されていた方々の写真、当時の拷問の様子を描いた絵などが展示されていました。
館内には、奇跡的に行き延びた方の証言の本もあり貴重な当時のことを知れました。(日本語でも販売されていました。)
多くの一般市民が虐殺された地、プノンペン。今はカンボジアの首都で高層の建物も多くあり、近くに美しい王宮などもある場所です。
トゥールスレン虐殺博物館は、そんな街の中にひっそりと存在します。
逃げることが不可能だったこの建物の塀には今もなお有刺鉄線が張らています。
みなさまにも、この場所で当時の「事実」を知って欲しいなと思います。
讃井悠介
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