終わらない紛争を乗り越えるカンボジア~アジアの平和を共に築く旅~

ピースボート地球大学特別プログラムに参加した大学生がカンボジア報告会を開きました!

こんにちは。12月26日に出航する第100回ピースボート「地球一周の船旅」に参加する文屋敏宣(通称:ぶんぶん)です。ピースボートセンターとうきょうで、ボランティアスタッフをしています。街中で見かける世界一周のポスターを貼る活動や、ピースボートに関する資料の発送のお手伝いをしています。

また2018年7月に起きた西日本豪雨の災害ボランティアや、毎週火曜日に高田馬場駅前で行われるP-MACの街頭募金もしています。

今回は先日「ピースボートセンターとうきょう」でおこなわれたP-MACに関するイベントをご紹介します。

カンボジアで内戦の歴史を学び平和復興をめざす人々と交流する旅

2018年8月31日~9月18日の19日間、ピースボート地球大学特別プログラムが行われました。6ヶ国17名が参加し、船上での英語で行われるゼミや、各地域での現場体験を経て様々な問題を自分の問題として考え、理解を深めました。カンボジアでは6日間過ごし、1967-1991年の25年間におよぶカンボジア内戦の爪痕が残る場所を巡りました。今回は東京外国語大学から参加した3人の学生が報告会を開いてくれました。

報告してくれた方の意見や感じたことが私に強く響いたのは、現地に行ったからこその体験が裏付けされているからだと感じました。現地に行くことは代え難いこと、そして行った人の話を聞くことはとても大きいことと感じました。

凄惨な歴史~ポルポト政権の虐殺と拷問~

今田澪さんは、未だに多くの地雷が埋まる原因となったポル・ポト政権下で行われた拷問や虐殺について話しました。政治犯を収容したトゥールスレン刑務所はもとは学校の校舎を改装して作られました。ブランコの枠に収容者をつるし上げて排泄物の入った壺につっこむなど、遊具も拷問用具に改装されました。現在は刑務所当時の状態のまま虐殺犯罪博物館として残っています。

ここから生還した人はわずか8名のみ。2年9ヶ月間に2万人が虐殺されました。生還した方の話では、一日に与えられる食べ物はスプーン2杯ほどのおかゆのみで、1畳ほどの自分の独房に入ってくるネズミなどあらゆるものを食べて耐えていました。

今田さんの話で驚いたのは拷問をした看守の多くが10代で、拷問で殺してしまったら看守本人も拷問を受けたために、殺さないようにしながらも拷問するしかなかったとのこと。今田さんは、「音声ガイドを途中で聞くのが耐えられなくなった」「どれほど恐ろしいか、教科書からは分からない恐怖があった」と話していました。

地雷の被害と除去 

内戦中にポル・ポト軍や他の軍隊が埋めた数百万の地雷は、未だに多くの被害を出しています。増田琴音さんは地雷を除去する現場や、地雷の被害に遭ってしまった方への支援について話しました。

ツアーでは現地の地雷除去団体であるCMACが実際に活動する現場を見学しました。地雷除去員は5人グループで行動し、分担して地雷を発見する作業をしていました。常に身の危険と隣り合わせで、給料も低いにもかかわらず続けられるのは、仏教信仰による他者への貢献が、モチベーションとなっているからだろうと話していました。見つかった地雷を爆破する作業を見学した際には、自分たちがいる広大な土地にそんな爆発物がまだまだ多く埋まっていると恐怖したそうです。

地雷の被害に遭った方への支援の現場にも足を運びました。アンコール障がい者協会(AAD)いう団体では、地雷によって四肢を失い満足な仕事が得られず差別にも直面してホームレスとなってしまった方に、仕事の提供をしています。アクセサリーを作る仕事をもらい、それが生きがいとなって幸せを実感した被害者の方がいたそうです。増田さんはその方から頂いた小鳥のアクセサリーが、日本での生活によって少しずつ忘れていくカンボジアでの体験を思い出させてくれると話していました。

国際社会が出来ること 未来に向けて

高井万希さんは、地雷除去によって安全となった土地に建てられたスナハイ村とコーケー村の小学校や、カンボジアの教育について話しました。スナハイ村の小学校は開校からまだ2年ほどで、その周りにはまだ地雷原もあり、ロープなどで立ち入り禁止区域が指定されています。地雷が埋まっている事を知らない子どもも多く、危険な土地と隣り合わせで勉強しています。

コーケー村は開校から13年ほど経ち、卒業生のほとんどが中学校へ進学しています。しかし学習教材が不足しているなど課題は多いようです。

ヒロシマハウスというカンボジアと広島の交流で生まれた学校も紹介されました。2011年に募金を募って完成したそうです。トイレ以外教室を出てはいけないなど、日本的な小学校のルールがヒロシマハウスでもみられたそうです。しかし大学生がボランティアで子供たちに勉強を教えているなど教員不足の課題がありました。

高井さんは、カンボジア全体で教育の重要性について理解が必要であること、都市部と地方の教育支援の格差があること、他国からの支援から自立し地域で問題解決していくことがこれからの課題であると話していました。

立場が変われば意見が変わると理解すること

報告会の後、ワークショップを行いました。テーマは「クラウドファンディングで集める500万円をどう使うか考えてください」です。まず、自分の立場で考えると500万で地雷除去を進める事が喫緊の課題であると思いました。

その後、何人かのグループに分かれ、それぞれ一枚の紙が配られました。そして、こう指示されました。「今からグループで紙に書いてある人たちになりきって、500万円の使い道を考えてください」

私のグループには”トゥールスレンの被害者遺族”と書いてありました。私たちのグループ内は意見が2つ出ました。

・建物を維持するために使う
・トゥールスレンを完全に無くす、撤去する費用とする

建物を見るだけでも辛いから無くす側と、悲劇を二度と繰り返さない為の教育の場として残す側。被害者遺族の立場でも相反する2つの意見に分かれてしまい、どちらにするかまとまりませんでした。

他のグループの立場や意見はというと、

日本の教育NGO→教育に使う。しかし学校に使うのか、学生に使うのかは決まりませんでした。

スナハイ村の住人→村長なのか子どもなのか、大人なのかによって考えが違ったそうです。

CMAC職員→除去機械の開発のグランプリを行う

プノンペンの会社員→図書館を作る 英語教育やコンピュータ教育に使う

このように立場が変われば意見が変わることが分かりました。平和を望む、社会を良くしようという根底は同じ。にもかかわらず立場により意見が異なり、それによって時に対立するのだと思いました。お互いの意見を理解をした上で、それらを摺り合わせていくことが大事だと思います。

P-MACは20年以上続いたバトン

P-MAC募金をしていて、募金に賛同してくれる人もいれば、賛同してくれない人もいます。こんな事を言われたことがありました。「現地に行くお金10万あるなら、そのお金を募金すればいい」

一人の10万円と1,000人の10万円は金額は同じです。どちらが良いとかではなく、どちらもすばらしいと思います。でも私は、この活動を続けている、続けていけるのは現地に行って実際にみて、感じてこの活動を続けたいと思う人がいるから。そして今回報告会を開いてくれた3人の大学生のように現状を伝えてくれる人がいるからです。

P-MACという街頭募金の活動を20年続けてきたのは、現状を伝えてくれる人、そして集まる金額は少しでも、毎週街頭に立とうというバトンが切れずに繋がってきてくれたからだと思います。私が街頭募金に立ったのは6ヶ月ほどでしたが、これから続くバトンを受け渡す手伝いが出来たと嬉しく思います。

ピースボートボランティアスタッフ 文屋敏宣

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