第94回ピースボート「カンボジア地雷問題検証ツアー」報告 Vol.1

2017年4月12日に横浜を出航した第94回ピースボート地球一周の船旅で、カンボジア地雷問題検証ツアーの参加者がカンボジアを訪れました。ツアーの様子を参加者の辰己雅章さんがレポートします。その第一弾です。

活気あるカンボジアの街

カンボジアに行く前、私はこの国に対して「途上国」「地雷がたくさん埋まっている」というイメージしかもっていませんでした。今回、第94回地球一周の船旅の中で実施されるカンボジア地雷問題検証ツアーに参加し、現地に足を運び実際に自分の目で見ることで、五感をすべて働かせ多くのことを感じました。

初日は夜にカンボジアへと到着。ナイトマーケットと呼ばれる繁華街を通りかかると事前にもっていた途上国というイメージが崩壊しました。東京と同じくらい多くの電飾に煌々とてらされた活気ある町、それが第一印象でした。

地雷除去の現場へ

翌日の朝、地雷除去現場の見学へ向かいました。他にも安全な仕事の選択肢があるにも関わらず、地雷除去という危険と隣り合わせの仕事を選んだCMAC(Cambodian Mine Action Centerカンボジア地雷対策センター)の方々に会いました。地雷除去の作業中に事故がおこり、仲間がけがをしたり、亡くなってしまったこともあります。しかし、猛烈な暑さの中で作業を続ける作業員の方々。

「カンボジアは農業国。安全な場所をつくらなければ、国は発展しない。私たちがしなければ変わらない。農業を安全に行えるようになり、人々が幸せになることが私たちの喜びです」

そう語る作業員の姿が印象的でした。

大虐殺が起きたカンボジア

では、どうしてカンボジアにはこんなにも沢山の地雷が埋まっているのか。それは1970年代のポル・ポト政権が大きく関わっています。このポル・ポト政権下では極端な共産主義・民族主義による政策が推し進められ、150-200万人ともいわれる人々が亡くなりました。ある人は過労死、ある人は知識人と見なされ殺される。中には鍬や陶器で殴られて殺される人もいました。そういった話を聞いた時に、ガラスの中で保管されている頭にヒビの入った頭蓋骨が目に入りました。

キリングフィールドは、ポルポト政権下で大量虐殺が行われた場所です。現在は殺された方の頭蓋骨が保管され、その悲劇を現在に伝えています。当時、どのような状況でこの人は殺されたのだろう。それを想像すると涙が出そうになりました。カンボジアは暑い国なのに、怖さで寒気がしました。初めて感じる気持ちにモヤモヤしながらツアー2日目は終了しました。

Vol.2に続く

辰己雅章

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