第94回ピースボート地球一周の船旅でおこなったカンボジア地雷問題検証ツアーの報告第二弾。参加者の辰己雅章さんによるレポートです。
地雷被害者に生きる希望を
地雷問題検証ツアーの3日目、まずはカンボジアの地雷被害者や障がい者を支援している「アンコール障がい者協会(AAD)」を訪問しました。
印象的だったのは、AADの創設者であるセム・ソワンタさんのお話。ソワンタさんはポル・ポト政権時代に父親が殺され、自身も1990年に地雷を踏み両足を失いました。当初は足を失ったことで生きる希望をなくし、自殺をしようとしましたが、仲間や家族に止められ立ち直りました。自分の名誉にかけて、立ち上がらなければいけないと強く思うようになったそうです。
当初は物乞いをしながら生活をしていましたが、英語の教室を外からのぞいて英語を学び、自らを高めていきました。運良く行政のサポートを受けて仕事をもらえるようになり、自立をすることができたそうです。
しばらく経ち、昔の自分のように生きることへの希望をなくした地雷被害者のために何かできることはないかと思い、ソワンタさんは動き始めます。手足を失い、何もする気がおきず、つらい思いをしている彼らに声をかけ、楽器の演奏や彫刻をつくる技術を教えました。
仕事を得ることで、生きる意味を得る人がいる・・・心のケアをすることに尽力を注ぐソワンタさんは言いました。
「自分だけが立ち直ったから良いと考えるのではなく、手足を失い、失望感でいっぱいの思いをしている仲間たちに光を与えたい。我々には足は無いができることは有る。更にみなさんの役に立てるように頑張りたい」
幸せをつくる義足
次は義足をつくるリハビリセンターを訪問しました。実際にリハビリセンターに来ていた方に「今、どんな気持ちですか?」と聞くと「義足をもらえることで、できることが増えるのが本当に嬉しい。義足をもらえたら、もっと家事をして子どもと遊んで、仕事をしたい!」と笑顔で答えてくれました。
センターの方は、「義足作りの給料はとても安く、大変なことが多い。しかし義足を受け取り喜んでもらえることがうれしい」と話してくださいました。強い意志を持ち取り組む彼らの仕事で人が幸せになる。これは、昨日訪問したCMAC作業員にも通じるものがある。そしてもちろん日本にも、分野は違えど共通するものがあります。日本もカンボジアも変わらない共通点をみつけました。
スナハイ村の子どもたちとの出会い
最後に向かったのは、カンボジアの北部プレアヴィヘア州スナハイ村の、地雷原だった土地につくられた小学校です。この学校は、P-MACがおこなう地雷除去募金「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」で集まった募金によってつくられた学校です。
僕は日本で子どもの教育に携わる仕事をしていました。ガタガタ道を車でひたすら進んだ先にある小学校に通う子どもの元気さや無邪気さは日本とまるで変わらないと感じました。けれど暑い中で靴も無い状態で遊び、安全かどうかもわからない井戸水を飲む子どもたち。遊んでいる校庭のすぐ横は地雷原。初日に見た栄えた繁華街とは対照的な景色でした。
ツアーのガイドをしてくれたボラさんは「今のカンボジアは50年前の日本とおなじくらいです。できれば子どもたちに日本のようなレベルの高い教育を受けさせたい。子どもたちに安全な水を飲ませてあげたい。」と話していました。
私にできることを
カンボジア地雷問題検証ツアーは、過去の戦争の傷跡を痛烈に感じ、初めて感じるモヤモヤした気持ちを抱えながら色々なことを考えさせられるものとなりました。ツアーを振り返りながら、人によって感じたことがそれぞれ違いましたが、私はツアーを通じて、帰国後カンボジアの子どもたちの為にできる小さなことをしていきたいと思いました。
辰己雅章
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