2017年8月13日に横浜を出航した第95回ピースボート地球一周の船旅で、カンボジア地雷問題検証ツアーの参加者がカンボジアを訪れました。ツアーの様子を参加者の宮原塁さんがレポートします。その第一弾です。
2017年8月23日の夕刻、カンボジアのシェムリアップ空港に降り立った。夕闇の中、生温い空気が肌にまとわりつく。私にとって、カンボジアに対する第一印象はあまりいいものではなかった。この5日間生活できるのか不安だった。その一方でカンボジアの人々の生活を身近に感じられるというワクワク感も存在した。
■大量虐殺がおこなわれたキリングフィールド
1970年代のポルポト政権時代に大量虐殺が行われたキリングフィールドは国内に100ヶ所以上もあるといわれている。その一つに私たちは訪れた。ここには歴史資料館があり、当時の拷問された人々の歴史が絵として残されていた。顔に袋をかぶされた人、ドラム缶をかぶせ警棒のようなものでドラム缶をたたきつける様子、倉庫のようなところで足枷をはめられて身動きできない人々、想像し難い行為が当時のむごさを物語っていた。
またその敷地内の中心部にある慰霊塔には、かつて虐殺された人々の遺骨が安置されている。大量の頭蓋骨が何かを訴えるように、静かにこちらを見つめていた。しかしどことなく置物のようにも見えてしまった私がいた。これは過去に本当に生きていた人たちだったのかと疑いの目で見てしまう。
その理由の一つに、キリングフィールドの近隣に住む人々があげられる。周辺に暮らす子どもたちがその頭蓋骨に躊躇なく近づき、なんの感情も沸かないような態度をとる。私は目を疑った。小学校低学年か幼稚園生ぐらいの子どもたちが表情を一切変えずに、そこで生活をしていたのだ。日本では、ありえない光景だった。
彼らはそこで生まれ育ち、生活をしている。その環境が子どもをそうしてしまったのだろうか。いや、これが普通なのかもしれない。私の感覚がこの国にとってのマイノリティなのだろう。私が生まれ育った日本では骸骨を直接見る機会は非常に少ない。実際の骸骨を公共の場に出すことがなければ、好んでその状況を見たいという人も多くはないだろう。
私は完全に日本の価値観に囚われてしまっていた。キリングフィールド周辺で生活をしている子どもたちにとっては、これが日常なのだと衝撃を受けた。
同じ時代に生まれながらも住む国、地域が違うだけでこの写真のような子どもがいる。しかし共通する部分もある。どんな環境にいようとも、動物と戯れる姿は日本と変わりのない姿であった。
■義足が障がい者の人生を変える
地雷の被害に遭った人たちや交通事故、病気などが原因で足や手をうしなった人たちが通う、シェムリアップ州立リハビリセンター。ここでは義足や義手の作成と修理、そしてリハビリを行っている。
この施設では月に150人が利用している。そのうちの100人が施設に通い、他の遠方に暮らす50人にはリハビリセンターからスタッフが出かけていってサービスを提供している。
この施設では義足の修理、製作、リハビリトレーニング、その間の宿泊すべてが無料だという。実際に現在通っている人の話を伺うと、この施設に来る前は自分で木やプラスチックを使い、義足をつくっていたそうだ。
また地雷の被害に遭った時は、人生が終わったと感じたそうだ。しかしこの施設のおかげで人生が楽しめるようになったという。このような施設があるおかげで、地雷の被害に遭ったとしても社会復帰の支えになる。
これからの課題としては、まだこの施設のことを知らない遠くの村の方にも知ってもらうことだそうだ。少しでも多くの人にこの施設を知ってもらうことで地雷の被害者を救うことになる。すべての方が不自由なく暮らせる日々が来るのを願う。
■地雷被害者が社会復帰できるように
次に訪れたのは元軍人で、地雷の被害に遭ったソワンタさんという方が立ち上げたアンコール障がい者協会(AAD)だ。
ソワンタさんは内戦時代に軍人として戦い、そのときに地雷を踏み両足を失った。当時は食べ物もお金も少なく、障害者に対いての扱いがひどかったため、ソワンタさん自身は自殺を何度も考えていた。
しかし、自分より重症な人がどんどん病院に運ばれてくる様子や仲間が苦しむ様子をみて、その気持ちは薄れていった。そしてその障害者たちの扱いを変えるべく、AADを立ち上げたと語る。
AADでは主に、障がい者が社会復帰するための支援をしている。そこにいる方々の手作業で作ったアクセサリーを販売したり、教育活動やオーガニック作物の栽培などを行っている。
ソワンタさんは被害当初は人生に落胆していたが今は楽しんでいる。中でも12月3日の国際障害者デー(障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした記念日)が特に楽しいと語る。すべてを忘れ、音楽を流し、みんなでワイワイできる。そう語るソワンタさんの笑顔はとても素敵であった。
過去につらい経験をしたにもかかわらず、今も懸命に生きる姿は勇ましく、そしていきいきしていた。日本にいたときの私の悩みがどれだけ小さいものだったのかを思い知らされた。そんな私が恥ずかしくなってしまった。
Vol.2に続く
文 宮原塁
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