2019年9月1日に出航した第102回ピースボート「地球一周の船旅」で、地雷問題検証ツアーの参加者がカンボジアを訪れました。
カンボジア内戦の歴史を伝える場所や、地雷除去現場、地雷被害者を支援するNGO、P-MACが支援を続ける村を訪れ、現地の方々の声を直接聞き交流しました。
参加者のお一人「さしゃ」によるツアー報告第一弾です。
カンボジア地雷問題検証ツアーに参加した「さしゃ」です。今は大学生で、小学校の先生を目指しています。
乗船前は、ピースボートセンターなごやで半年ほどボランティアスタッフをしていました。
P-MACの募金活動「カンボジアから地雷をなくそう100円キャんぺーン」に参加する中で、集まった募金がどのような支援に使われているか、カンボジアの現状はどんな様子か、自分の目で見たいと思い、このツアーに参加しました。
まだ歴史になっていないカンボジア内戦
私たちはまず初めにキリングフィールド(ポル・ポト政権による大量虐殺がおこなわれた場所)をおとずれ、カンボジアの歴史について学びました。
驚いたことは、私たちを案内してくれたガイドのキムさんが子どもの頃の体験を話してくれたことです。
キムさん(現在37歳)が小学生の頃、まだ通学路に地雷が埋まっていたそうです。
キムさんが見つけた地雷は果物の形をしていて、それが爆発するとは知らず家まで持って帰ってきてしまい、父親がとても驚いたそうです。
キムさんの友人も同じように地雷を持って帰りましたが、家で爆発してしまい、亡くなったと話してくれました。
37歳のキムさんが自分の体験を話せるくらい、内戦やその後の出来事が近い年月であることに驚きました。
日本だったら、自分や家族の戦争体験を話せる方は80歳以上だと思います。
カンボジアにはまだ、内戦の時代を生きた人や、内戦後すぐの時代を生きた人がたくさんいる国なのだと実感しました。
まだ“歴史”と呼べるほど遠い過去でないし、他の国同士ではなく“内戦”であるため、子どもたちへの伝え方が難しいという課題も見えました。
内戦により失われた伝統織物をよみがえらせた人々
その後、クメール伝統織物研究所(IKTT)の見学に行きました。
内戦によりカンボジアの伝統織物をつくれる人が減った後、京都の友禅職人だった森本喜久男さんが1996年に設立した団体です。
ここでは「よい布を作ることで、みんなが幸せに暮らせる」ことを目的とし、牛の糞からいい土をつくり、よい桑の木となり、蚕がそれを食べ、よい絹ができるというサイクルをつくりだしていました。
持続可能な方法、つまりSDGs(国連が定めた持続可能な開発目標)を20年前から実現させていました。
また、織り手の感覚を大切にしていて、カンボジアの職人さんを大事にしていることも伝わってきて、素敵な職場環境だと感じました。
まさかカンボジアでSDGsの話が聞けると思わなかったので、視野が広がる体験となりました。
障害者が特別扱いされない環境がたいせつ
地雷被害者の職業訓練や障がい者スポーツに取り組んでいるアンコール障がい者協会(AAD)も訪れました。
地雷被害者の方々の中には、「昔のことを考えても仕方がないから、今を楽しむ」と話してくれた方もいました。
話してくれた言葉が前向きなのは、様々な葛藤を仲間と乗り越えた後だからだと思います。
同じ境遇の仲間と出会えず、引きこもりになってしまった方もいるそうです。
お話を聞いたり、被害者の方が働いている家具工房の見学をした後、小学校のスポーツコートへ移動しました。
そこで、一緒に車椅子バスケとシッティングバレーを体験しました。
車椅子バスケでは、車椅子に乗っていることを忘れてしまいそうなくらい機敏な動きで、笑顔がとても多かったです。
小学生たちも一緒に混ざっていたことも印象的でした。
ツアー中、何度か“まだ差別が残っている”というお話がでてきましたが、きっとこの小学生たちはスポーツを通して“障害者”ではなく“一人の人”として関わっていたと思います。
こんなふうに、障害者と呼ばれる人たちが特別扱いされない場所が増えていけば、いつか差別がなくなるのではと考えました。
人権問題についても考えさせてくれる体験でした。
Vol.2へつづく
文:さしゃ(外山綾子)
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