2023年8月に出航したピースボート地球一周の船旅 Voyage115で、地雷問題検証ツアーを開催しました。
11月27日~30日にカンボジアを訪れ、カンボジア内戦の歴史を伝える場所や、地雷除去現場、地雷被害者を支援するNGO、P-MACが支援を続ける村を訪れました。
参加者のお一人、かほこさんによるツアー報告を3回に分けて紹介します。第一弾では、地雷問題やカンボジア内戦を学んだ様子をお伝えします。
CMACの地雷博物館
カンボジアの地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」の博物館で館長さんと職員さんに出迎えられ、地雷除去の方法や地雷問題の歴史について伺い、多くの地雷を見学した。
火薬が抜かれた地雷が敷地内に埋まっており、地雷がどのように埋められているか、どうやって除去するかを伺った。
土に埋まっている地雷はぱっと見てわかるものではなく、知識を持って意識して見なければ誰しもが踏んでしまう恐れがあると感じた。
地雷は3~5㎏の重さがかかれば爆破すると聞き、大人だけでなく小さな子供も被害に遭う理由が分かった。
内戦が終わって2000年以降はCMACが、地雷が埋まっている村で地雷被害に遭わないための教育も行なっている。そのため地雷事故は減っている。
また、カンボジアは長年地雷除去を続けてきたため、地雷除去に関するパイオニアとして他国への技術支援も行っているのだそう。
地雷はもちろん負の遺産ではあるが、それから産まれる新たな取り組みで国内外を救うことができる側面も知った。
カンボジアはオタワ条約(対人地雷禁止条約)の加盟国で、2025年までに国内の対人地雷をすべて除去する義務を負っている。都市部は除去が完了しているがタイ国境付近ではまだ地雷が埋まった土地が残っている。
地雷除去に携わる人の話では、目標である2025年には除去が終わりそうだという声も聞き、嬉しく感じた。
しかし、これはCMACが把握できている範囲での話であり、CMACが把握できているのは全体の80%程という推測でしかないという。
というのも、CMACが把握している地雷は戦争中に地雷を埋めた兵士からの情報収集に基づいているからである。
そのため、地雷を埋めた人が既に亡くなっていたり、移住してきた人が中心の村では情報収集ができない。
CMACの職員は元兵士の人が多く、戦争当時は敵軍同士だった者が協働するため、以前はトラブルも多かったが、現在は協力して行えているのだそう。
地雷除去が長引く背景は二つあり、一つは地雷の数が多いこと。カンボジアは内戦中に400-600万個もの地雷が埋められた。
もう一つは気候が影響していることだ。カンボジアは雨季と乾季があり、雨季は大雨により作業が困難となる。
博物館の中にはCMACがこれまでに除去した地雷や不発弾、クラスター爆弾が展示されていた。大きさもさまざまで形態も異なることを知った。
中には地中深くに埋められた地雷の上に丸太があって、見た目や金属探知機では地雷があるとわからないものや、地雷をひもで草木などに繋いで足を引っかけると爆発するものがあり、狡猾なやり方だと感じた。
今後、CMACは博物館を増設して、さらに人々が地雷について学べるように考えている。現在建設中の博物館は日本の援助も受けていると聞き、日本の国外への取り組みの一例を知ることができた。
今後、二度と地雷で苦しむ人が増えないように、このような施設に世界中からたくさんの人々に訪れてほしいと感じた。
キリング・フィールド
カンボジア内戦中のポル・ポト政権下(1975〜79年)、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などが反革命的な者とみなされ、次々と殺害された。
この大量虐殺が行われた刑場跡がキリングフィールドと呼ばれている。
私たちが訪れたのはシェムリアップにあるキリングフィールド。現在は寺院、そして孤児院の役割を持つ施設としても機能している。
孤児院の子どもたちは、以前はこの場所で寝泊まりもしていたけれど、当時、子どもたちは夜眠れずにお経を読んでもらっていたとのエピソードも聞いた。
全体的に異様な重たい空気があり、私もこちらで眠れる気がしないと感じた。現在は、敷地外に寮があるのだという。
また、キリングフィールドがカンボジア国内に300箇所もあると聞いて衝撃を受けた。
現地ガイドさんから、カンボジアではポル・ポト政権の時に多くの人々が亡くなった影響で今は50~60代の人口が少なく、識字率も低いのだと聞いて胸が苦しくなった。
当時辛い思いをしながら生き長らえたという人々が、今も生きづらさを感じていることを思うと遣り切れない。政治や教育の在り方がいかに重要かと考えさせられた。
資料館にはポル・ポト時代の状況を表す絵画が多言語の翻訳とともに展示されていた。
それらは当時の悲惨さを表していて見るのが辛かったし、納骨堂には骸骨が積まれており、その場にいるのが苦しかったし気分が悪かった。
ここに眠る当時の人々は自分のお墓にも入れず、人生で最も苦しい思いをしたであろう場所に今もいると思うといたたまれないと感じた。
でも、ここまで様々な国を訪れてきて、死との向き合い方や内戦で失われた命をどうやって伝承するかはその国それぞれであり、理解したいとも思った。
たしかに、模型や絵画や語り部といった伝承方法もあるが、リアルな人骨に勝るものはないかもしれないとも感じた。
クメール伝統織物研究所(IKTT)
IKTTは日本人の森本喜久男さんが、カンボジア内戦で失われたカンボジアの織物文化を復興させようと設立した団体だ。
IKTTで作られた布に触れると気持ちよく、自然由来の染料を使っていると聞き、自然の持つ力を感じた。
森本さんは2017年に亡くなられたが、日本人女性の方が森本さんの意志を継いで現在もカンボジアで活動されており、その方からお話を伺った。
IKTTには絹織物を作るための養蚕・綿花・自然染料などの自給や織物の作成をしながら、作り手たちが暮らす「伝統の森」と名付けられた村もある。
そこでは24ヘクタール(東京ドーム5個分)に100人が共に過ごしているのだそう。
「伝統の森」はカンボジアの伝統を守ること、女性たちの雇用を産むことを目的としている。家族で暮らしているため、病院や学校も建てて住民の生活の基盤を作っている。
IKTTでは2つのことを感じた。まず、戦争はこのような美しい伝統までも奪ってしまうということを知った。
戦争が及ぼす影響を考えるときに、私は建物の倒壊や人命が失われることを即座に思い浮かべるが、それだけでなく住民が大切にしていた伝統や文化も失われてしまうという視点を持てるようになった。
2つ目に、国際協力の支援の形は様々であるということを感じた。物資を送る、募金を送るだけでなく、技術を伝えていくことで現地の人の自立を促せるのだということが分かった。
国際協力は支援側のエゴの押し付けではないかと以前感じたこともあった。でも、森本さんのように自身のスキルと現地のニーズが一致して、適した支援の仕方をすれば現地の人が必要としている支援ができるということを知った。
私自身も自分なりの支援は何か考えていきたいと感じた。
アンコール遺跡
カンボジアにある世界遺産であり、アンコールワットを含む遺跡群を数か所巡った。
何世紀も前に建てられた遺跡に現代の私たちが訪れて見て触れることができるということに感動した。
建物に侵入する木の根から自然の壮大さを感じる反面、戦争の影響で顔がない仏像があり、悲惨さも感じた。
地球一周中に訪問したエジプトでも同様に感じたことだが、かつてはこんなに立派な文明があったのに、なぜ現在はこうなんだろうと考えさせられた。
戦争をしていた背景や治安の不安定さから影響を受けていると思うが、そうならないためにはどうしたらいいんだろうと思いを巡らせる場所にもなった。
文:かほこ
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