カンボジアの大地をとりもどす女性たち

地雷除去員として働くヤン・サンポス

地雷除去の現場では、多くの女性も働いています。2008年、P-MACはカンボジアの地雷除去団体「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」の地雷除去員であるヤン・サンポスさんを日本に招待して、東京・大阪・福岡でトークイベントを開催しました。

イベントのタイトルは「カンボジアの大地をとりもどす女性たち」。地雷原の村で生まれ育ち、貧困のために学校を辞めなければならなかったサンポスさん。自らの半生と地雷除去活動について話していただきました。その時の記録をお届けします。

イベントから9年たつ今も、サンポスさんは、カンボジアで地雷除去員として安全な大地をとりもどすために日々、活動を続けています。

「カンボジアから地雷をとりもどす女性たち」

※2008年トークイベントの記録

地雷原の村で

私は1983年、カンボジア西部・バッタンバン州に生まれました。バッタンバン州はカンボジアの他の地域に比べても地雷問題が深刻な地域です。ここでは、1991年のカンボジア和平合意後も98年まで内戦が続き、そのため多くの地雷や不発弾が残ったままになっています。

私は10人の兄弟と両親の12人家族で育ちました。私が小さい頃、家の周辺でも戦闘が起きました。爆弾が飛び交う中、両親に連れられて防空壕に逃げ込んだ記憶が、今でも鮮明に残っています。また、家や畑の周辺は地雷原で、多くの村人が被害にあっていました。当時、人々は地雷や不発弾が危険なものということを知りませんでした。私も畑に落ちていた不発弾を素手でつかみ、邪魔にならない土手や木の上に運んでいたくらいですから。一日の仕事が終わり、刈り取った草などを燃やしてから家に帰ると、そちらの方向からバーン!バーン!と、音が聞こえてきました。火が風に乗って不発弾を置いた場所に燃え移り爆発したようですが、当時はそうだということも知りませんでした。そして、田畑を耕していた時に地雷被害に遭う人も少なからずいました。

地雷被害にあった父

私の父も地雷被害者です。夕方、畑仕事が終わって帰宅しようとした時、地雷を踏んでしまいました。そのまま父は国境を越えてタイの病院に運ばれ、一命を取り留めましたが、右足を切断しなければなりませんでした。私が持っている家族写真には、父は写っていません。結婚式に家族全員がそろって撮った写真にも父は写っていないのです。なぜならば右足を失った父は、写真に写ることを拒み続けているからです。

それまで、父が農業をして家族を養っていましたが、事故後は私たちはどんどん貧しくなっていきました。父が働けなくなったため、母が働くこととなりました。でも収入は格段に減ってしまい、私達兄弟は学校をやめ、畑で働かなければならなくなりました。私が中学校1年生の時です。タイとの国境付近のトウモロコシ畑で働くようになりました。その畑の周辺も地雷原でした。

自らの手で地雷をなくしたい

私が20才になった頃、近くで地雷除去活動をしていたCMACの隊員が村にやってきました。彼らは、地雷原に住む若い女性の中からディマイナー(地雷除去員)を募集していたのです。このような状況の女性は、国境を越えて働きに行かなければならなかったり、中にはだまされて人身売買や売春をさせられるケースもあります。CMACでは、そのような状況から女性を救い出し、自分の故郷やその付近の地雷除去活動をすることで、家族と暮らしながら仕事ができるようにしようと考えていたのです。また、1ヶ月70米ドルの給料も支払われます。私たちにとっては大金です。

私は、ディマイナーになる決意をしました。家族は賛成してくれましたが、祖母だけが反対でした。ディマイナーは一歩間違えば命を失う危険な仕事だからという理由からです。それでも、家族を救いたいという想い、そして今まで自分たちを苦しめてきた地雷をなくしたいという想いから、ディマイナーの採用試験を受けました。

試験の主な内容は読み書きが中心です。カンボジアでの識字率はまだまだ低く、特に地雷原に暮らす人々の中には読み書きのできる人は多くありません。私は合格できるか、自信がありませんでした。合格発表の日、CMACのセンターに出かけていった私は、合格者の欄に自分の名前を見つけ、本当に本当にびっくりしました。とてもうれしかったです。その後、地雷除去のトレーニングを受け、私はCMACで初めての女性ディマイナーとなりました。

女性ディマナーとして

私が一番初めに配属されたのは、故郷バッタンバン州の地雷原でした。私は女性だけで構成されたチームのリーダーに抜擢されました。金属探知器を使い、手作業で地雷除去作業を進めるのです。ディマイナーというと、皆さんは力のある男性を思い浮かべるかもしれません。確かに地雷除去作業には体力が必要ですが、女性だということで、男性よりも劣っているとは限りません。私の経験上、女性ディマイナーの方が慎重に作業を行い、作業に使う道具の手入れも怠りません。

私が作業の中で一番大変だと思うのは、地雷を見つけるために地面を掘る作業です。多くの地雷原はジャングルなどの草木が多く生えている場所です。草木を刈ってから、金属探知器で地雷がないか探します。金属反応があった時はスコップで掘り、何が埋まっているか確認します。地雷が埋まっているかもしれないので、慎重に少しずつ掘っていかなければなりませんが、植物の根がじゃまになります。この根を切るのに意外にも力が必要なのです。男性ディマイナーほど力がないために、この作業は大変ですが、それ以外では女性の方がディマイナーに向いているのではないかと思います。

<パートナーの犬、フィレンと不発弾探知中のサンポス>

現在、私は新たなトレーニングを受け、南東部にあるプレイヴェン州で不発弾探知の仕事をしています。ここはベトナム戦争時代に米軍による空爆を受け、不発弾が多く残っている地域です。作業はパートナーであるフィレンという名の犬と一緒に行います。フィレンは火薬のにおいを頼りに不発弾を探します。フィレンとは1年ほど前からパートナーとして活動し、多くの不発弾を発見してきました。私たちは一緒に仕事をし、そして一緒に暮らしています。今では、私の子どものような存在です。

危険な仕事をしていることよりも怖いこと

多くの日本の方は、「ディマイナーという仕事をしていて怖いと思うことはないか」と質問します。確かに、地雷除去中のディマイナーによる事故は少なくありません。私がCMACに入った時、一緒にトレーニングを受けた女性は、昨年、除去作業中に地雷が爆発して亡くなりました。一歩間違えば、地雷が爆発する危険のある作業です。でも、私は怖いとは思いません。適切なトレーニングを受け、今では自信を持ってこの仕事をしています。

それよりも私が不安に思っていることは、海外からの支援がなくなるのではないかということです。地雷除去の作業はカンボジア人の手で行われていますが、そのための金銭的な支援は全て海外からのものです。CMACの活動は国連やアメリカ政府、日本政府、そしてNGOが支援をしてくれています。もし、これらの支援がなくなれば、私たちは地雷除去活動ができなくなります。そして、それは私たちが仕事を失うということであり、多くの隊員が以前の貧しい生活に戻るということにも繋がります。だから私にとっては危険な仕事をしていることよりも、支援がなくなる事の方が恐ろしいのです。

日本のみなさんへ

今回、私は幸運にもこうして日本を訪れることができました。家族に日本へ行くことを話すと、とても驚き、本当に喜んでくれました。物価の違いや渡航手続きの難しさから、日本に来るということはカンボジア人にとってとても難しいことです。帰ったら、家族やCMACの友人に日本のこと、ピースボートのことを伝えたいです。

<P-MACの地雷除去募金活動にも参加。左から2人目がサンポス>

来日する2週間前には日本という国の名前と先進国であるということしか知りませんでした。今回の来日で、日本についていろんな事を知ることができました。そして、各地で多くの友人を作ることができました。私と同年代の日本の人たちと交流できたことは、本当に楽しかったです。そして、日本の人々が、カンボジアの地雷除去のために募金などの活動をしてくれていることを知ることができたのは、とても良かったです。

わたしは、これからもディマイナーとして活動を続けていきます。どうぞ、日本の方々も地雷除去のために支援を続けてください。

写真:内田和稔

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