ピースボート地球一周の船旅は、約100日間かけて20~30の寄港地を巡ります。それぞれの寄港地では、世界遺産を訪れる観光ツアーや社会問題を学ぶスタディツアーなど、様々なオプショナルツアーに参加することができます。
ピースボートの代表的なスタディツアーのひとつが、「カンボジア地雷問題検証ツアー」です。
このツアーでは、カンボジアで地雷除去活動に携わる人々や、リハビリや職業訓練を受けながら社会復帰を目指す地雷被害者、地雷原の村に暮らす人々と交流し、地雷問題の「今」を学びます。
こちらのブログでは、これまでのツアーでの訪問地をご紹介します。※ツアースケジュールは毎回変わります。日程によって訪問しない場所もあります。
カンボジア地雷対策センター(CMAC)

カンボジア地雷対策センター(CMAC)は、カンボジアで和平合意が結ばれた直後の1993年に設立されました。
地雷除去員の育成、地雷原の特定、地雷啓蒙活動、地雷除去活動などを行っています。ピースボートの地雷除去支援はすべて、CMACをとおしておこなっています。
CMAC平和博物館

カンボジア地雷対策センター(CMAC)が設立した博物館です。多くの写真やこれまでにCMACが除去した地雷・不発弾、地雷により大破した車両、除去活動のための道具などが展示されています。
CMAC職員の案内で巡り、カンボジア内戦の歴史やカンボジアの地雷問題、地雷除去の方法について細かく学ぶことができます。
コーケー村

カンボジア北部、プレアヴィヘア州に位置するコーケー村は、多くの遺跡が残る古都の村。内戦中は激戦地となり、多くの地雷や不発弾が残っています。
P-MACは2005年にコーケー村の地雷除去と小学校を建設しました。その後も通学路となる道路、周辺の遺跡などの地雷除去を支援。
安全な学校ができたことで教育支援をおこなうNGOが継続的に関わり、図書館や先生への研修など教育全般の支援をしています。
15年前まで小学校がなく、内戦の影響で学校に通うことができた大人もほとんどいませんでしたが、小学校ができて多くの支援が入るようになり、今では大学へ進学する子どももいます。
スナハイ村

プレアヴィヘア州に位置するスナハイ村では、内戦で多くの地雷や埋められました。
スナハイ村は、これまで土地を持たずに貧しい生活をおくっていた人々が集まり、2005年にできた新しい村です。人々は移住してから周辺が地雷原だと知りました。
それでも、村人は「ここは私たちにとって希望の村です」と言いました。
この村は地雷が埋まっていようとも、ようやく手に入れた自分たちの土地です。ここで農業をすることで、家族が生活できるようになりました。
P-MACは、人々が安全に暮らし農地を耕せるように、2010年以降、スナハイ村の地雷除去を進めています。
シェムリアップ州立リハビリセンター

地雷事故により足を失った被害者にとって、治療の次に必要となるのは義足です。でも、多くの被害者は貧困のために自分で義足の費用をまかなうことができません。
シェムリアップ州立リハビリセンターでは、義足の作成や歩行訓練を無料で行っています。
カンボジア国内にはこのようなリハビリセンターが全国にあり、全ての地域をいずれかのセンターが管轄できるようにしています。
EXCEED

プノンペンで義足の作成や歩行訓練を提供しているNGOのEXCEEDには、義肢装具士(義足などをつくる専門家)を育成する学校も併設されています。
地雷被害者や交通事故、病気などで多くの人々が義足を必要としていますが、手に入れられない人もいます。技師装具士の不足も要因のひとつです。
EXCEEDには地雷被害者の技師装具士もいました。彼は「患者さんと同じ経験があるから彼らの気持ちをよく理解でき、治療に活かすことができます」と話してくれました。
アンコール障がい者協会(AAD)

地雷被害者を中心とした障がい者の社会的、経済的自立支援をおこなう現地NGOです。障がい者への職業訓練、社会復帰のための精神的なサポート、障がい者の人権問題についての啓発活動をおこなっています。
AAD設立者のセム・ソワンタさんは政府軍の兵士だった内戦中に地雷被害に遭い、両脚を失いました。
その後は仕事ができずホームレスとなり、同じような境遇の多くの地雷被害者が病気や飢えなどで亡くなっていくのを見て、AADを設立して自ら被害者を支援していくことを決意しました。
カンボジアン・ハンディクラフト・アソシエーション(CHA)

カンボジアン・ハンディクラフト・アソシエーション(CHA)は、地雷被害者やポリオ患者をはじめとした女性の障がい者を経済的、社会的に支援するために設立された現地NGOです。
ここでは洋裁や機織の技術と、小規模ビジネスを学ぶことができます。CHAで訓練を受けることにより、障がい者が自信をつけ、経済的にも自立し、差別されることなく社会復帰できることを目的としています。
訓練を受けている障がい者たちは共同生活をしています。障がいがあるためこれまで学校に通えず家に引きこもりがちだった女性たちがCHAで共に暮らし、少しずつ社会とふれあい、自立の道を歩んでいます。
トゥールスレン虐殺博物館

1975年から1979年までカンボジアを支配したポル・ポト政権は、これまでカンボジアが培ってきた文化や宗教を否定、学校教育も禁止し、国民は移住や労働を強制されました。
そして数多くの知識人や芸術家、教師、宗教関係者、政策に反対する者は、捕らえられて激しい拷問を加えられた後、処刑されました。
プノンペンでは、高校だった建物が刑務所として使われ、約2万人が収容されましたが、生きて出られたのはわずか7人と言われています。
この刑務所が今はトゥールスレン虐殺博物館として保存され、一般公開されています。
キリングフィールド

ポル・ポト政権による処刑場跡はキリング・フィールドと呼ばれ、国内に100か所以上が見つかっています。
プノンペンのキリングフィールドでは、地面に多くの穴が開いています。この穴からは無数の遺骨が掘り出されました。
アンコールワット

カンボジアと言えばアンコールワット。世界中から観光客が押し寄せる大人気の世界遺産です。
12世紀初頭につくられたヒンドゥー教寺院で、1992年アンコールワットの周辺に点在する数多くの遺跡と共に世界遺産に登録されました。
カンボジア人にとってもアンコールワットは特別な存在で、一生に一度は訪れたい場所。カンボジア国旗にもアンコールワットが描かれています。
カンボジア地雷問題検証ツアーはピースボート地球一周の船旅の中で年に1~2回開催しています。
また、全国5か所にあるピースボートセンター(東京、横浜、名古屋、大阪、福岡)では地雷除去のための募金活動をおこなっています。
多くのツアー参加者が乗船前にボランティアスタッフとして募金活動に参加しています。※ボランティアスタッフとして活動すると、その内容や時間に応じて船賃の割引を受けることができます。
ツアー終了後も船内や日本に帰港した後にピースボートセンターなどで有志が報告会を開催しています。ツアー前後の活動を通して地雷問題についてより深く学ぶ機会があります。
~これまでのツアー参加者の声~
「何も知らなかった自分がカンボジアを訪れたことで、日本や世界を見る目が大きく変わりました。 何より自分にできることがたくさんあると気づいたことは、今の自分を突き動かす力になっています」— 10代男性
「このような悲劇は世界中で過去にもそして現在も起こっています。同じ事を繰り返さないために、私は学び考え続けたい。そしてやっぱり実際に自分の目で見ることって大事だ! 」— 20代女性
「カンボジアに行ってよかったなと思うことは、『大きな困難に絶望するのではなく、希望をもって闘っている人はいる』ということを身をもって知れたことです。たとえ地雷によって足を失くしても、地雷問題に立ち向かっている人にも出会いました。」— 20代女性