カンボジアの地雷問題(2021年版)

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACが地雷除去や被害者支援をおこなっているカンボジアの地雷問題についてまとめました。

地雷の基礎知識や世界の地雷問題についてはこちらのページ↓をご覧ください。

カンボジア王国について

カンボジアは東南アジアにある国です。タイ、ラオス、ベトナムに囲まれ、面積は日本の半分ほど。人口は1,649万人(2019年世界銀行)。首都はプノンペン。公用語はクメール語。

国の中央西寄りには東南アジア最大の湖・トンレサップ湖があり、東には大河メコン川が縦に走っています。水に恵まれた土地が多く、農業が盛んで国民の多くが農業をして生活しています。

12世紀初頭につくられた石造寺院で、世界遺産に登録されているアンコールワットが有名

豊かな土地が広がるカンボジアですが、1970~90年代まで続いた内戦で多くの地雷が使われました。

首都のプノンペンなど都市部では高層ビルや工場が立ち並び、経済発展を続けていますが、農村部では今も地雷が残り、戦後復興の妨げになっているところもあります。

カンボジアに地雷が埋まっている理由

カンボジアでは北西部に多くの地雷が埋まっています。東部には地雷は多くありませんが、不発弾(不具合により爆発せずに残った爆弾)が多く埋まっています。これには隣国ベトナムでの戦争とカンボジア内戦が大きく関わっています。

1965年、ベトナムでベトナム戦争が激化。北ベトナム軍はベトナム南部の部隊に物資を輸送するため、ラオスとカンボジアの領土を通る物資補給路(ホーチミンルートと呼ばれている)を建設しました。

南ベトナム軍を支援していた米軍は、この補給路を破壊するためにカンボジアやラオス国内も空爆しました。

1970年にはカンボジアで親米政権ができましたが、それに対抗するポル・ポト派との間で内戦状態となりました。米軍は親米政権を支援するため、カンボジア東部から首都へ向けて支配地域を広げていたポル・ポト派に対して、空爆をおこないました。

これらの米軍による空爆で落とされた爆弾は、一部が不発弾として残りました。そのため、カンボジア東部には多くの不発弾が残っています。

1975年にはポル・ポト政権が誕生しました。ポル・ポト政権は鎖国・都市住民の強制移住・強制労働・文化、歴史、宗教の否定・学校教育の廃止などをおこないました。そして数多くの知識人や芸術家、教師、宗教関係者、政策に反対する人を虐殺しました。

ポル・ポトの政策により、飢えや病気によって亡くなった人も多くいます。ポル・ポトが政権を握っていた3年8か月の間に、当時の国民約800万人のうち約170万人が死亡したと推計されます。(統計がとられていなかったため、当時の人口や死亡者数は諸説あります。)

ポル・ポト政権とベトナムとの対立が深刻化し、1979年にはベトナム軍が首都プノンペンに侵攻してポル・ポト政権は終わりをむかえます。

その後ポル・ポト派は首都からタイ国境へ向けて逃走、その後を追ったベトナム軍や新政権軍との間で戦闘が繰り広げられました。また、他の派閥や外国からの介入などもあり、内戦は泥沼化しました。

この内戦で多くの地雷が使われたため、タイ国境付近のカンボジア西部には多くの地雷が埋められました。

1991年には和平協定が結ばれ、1998年にポル・ポト派が解体されて内戦は終結しました。長年の内戦によって、多くの人々が犠牲になり、社会システムやインフラが破壊されました。そして地雷や不発弾が残されました。

地雷による被害

記録が残っている1979年~2019年末までのカンボジアでの地雷・不発弾被害者数は64,855人です。そのうち19,780人が死亡、45,075人が負傷しています。

これはあくまでも記録に残っている数であり、特に内戦中は記録をとることも難しいため、実際にはより多くの被害者がいると考えられます。

1996年には3,000人以上が地雷被害に遭っていましたが、減少を続けています。2016年以降は年間100人を切りました。

内戦が終結して20年以上経ち、被害者数は少なくなりましたが、今も地雷被害は続いています。

地雷被害者減少の理由は、地雷除去が進んだことだけではありません。地雷は一度埋められてしまうと見た目ではわかりませんが、調査が進んだことで地雷原の場所が特定されたり、地雷原がある村や学校などでの地雷回避教育がおこなわれたことが大きな要因と考えられます。

カンボジアで地雷被害に遭っているのは、ほとんどが一般市民です。農業などの仕事中や子どもたちが遊んでいる時など、人々が普通の生活をしている時に被害に遭っています。また、地雷除去活動中の事故も毎年のように報告されています。

地雷事故に遭うのは成人男性が半数以上です。仕事や農業などで行動範囲が広く、地雷が埋まっている土地に行く機会が多くなります。

成人男性がその家族の中で一番の働き手であることが多く、地雷被害に遭うことはその家族全員の生活にも大きな影響を与えます。働き手を失ったり治療のためにお金が必要になり、子どもが学校をやめて働かなければならないこともあります。

地雷は身体の一部を吹き飛ばすくらいの威力を持つため、被害者の多くは手や足を失ったり深刻なケガを負うことが多く、生き残っても大きな障がいが残ります。また、体の小さい子どもの場合は亡くなる可能性が高くなります。

かつては対人地雷による被害者が多くを占めていましたが、現在は不発弾による被害の割合が増えています。

近年は対戦車地雷による被害の割合も増えています。対戦車地雷の爆発には車両くらいの重さが必要なので、人が歩いても爆発はしませんでしたが、農業の機械化によって車両を使う機会が増えたことで対戦車地雷による被害も増えていると思われます。

地雷被害者の数は減少を続けていますが、今も新たな地雷原が発見されたり、地雷原のすぐそばで暮らしている人々も多くいます。地雷事故に遭わなくても地雷があるためにその土地が使えないことは戦後復興が進まない原因になります。

また、生活のためには地雷原と知りながらもその土地で農業をするしかない人もいます。安全な土地がないために小学校を建てることができない村もあります。地雷は地雷被害者だけではなく、その地域に住む多くの人々に大きな影響を与えています。

地雷被害者について

地雷被害にあっても、内戦中はすぐに病院へ運ぶことも難しく、治療が遅れることにより多くの人が命を落としました。現在は、適切に連絡が入れば迅速に患者を病院まで運ぶシステムが整っていますが、多くの人々が手や足を失うなど、大きな障がいを負うこととなります。

病院での治療のあと、義足などの作成やリハビリ、社会復帰のための職業訓練などが必要となります。地雷被害をきっかけに引きこもったり、自殺を考える人もいて、被害者の精神的なサポートも重要です。

地雷が埋まっている地域に暮らす人々は貧しい生活をしていることが多く、これらのために自分たちで費用を負担することは難しいです。

現在はNGOや公的施設が無料で治療やリハビリ、職業訓練などを行っていますが、そのような団体も十分な資金があるわけではなく、支援を受けられない被害者も多くいます。

また、被害者にどこでそのような支援を受けられるか情報を届けることも課題となっています。

無料で義足作成をおこなうセンター
彫刻家の職業訓練を受ける男性(右)。教えている彫刻家(左)も地雷被害者。

今も続く地雷除去活動

金属探知機を使った地雷除去活動

地雷は一度埋めると、取り除くか誰かが踏むまで半永久的に効力を発揮します。どこに埋められたかわからない地雷を除去するのはとても時間のかかる作業で、そのため今も多くの地雷が残ったままとなっています。

カンボジアでの地雷除去活動は、和平合意が結ばれた翌年の1992年に始まりました。カンボジアの政府機関である「カンボジア地雷対策センター(CMAC)」、カンボジア軍、NGOなどが地雷除去を進めています。

最も多く使われている地雷除去の方法は、金属探知機を使って地雷を探すものです。他にも火薬のにおいを頼りに地雷を探す地雷探知犬も活躍しています。

最近は大型のネズミを使った地雷探知も使われています。金属探知機や地雷探知犬、ネズミによって発見された地雷は、爆破処理されます。また、地雷を破壊しながら進む大型の機械も使われています。

地雷探知犬
地雷探知するネズミ
地雷除去機

地雷除去活動は一歩間違うと地雷を爆発させてしまうかもしれない、危険な作業です。訓練を受けた地雷除去員によって慎重におこなわれています。

カンボジアは熱帯の国です。高温の炎天下で重いヘルメットや防具を身に着けておこなう地雷除去活動は大変な作業です。残念ながらこれらの活動中に除去員が地雷被害に遭うこともあります。

2020年のカンボジア地雷対策庁(CMAA)による発表では、1992年から2019年までに約2,000㎢の土地からが地雷や不発弾が除去されました。その結果、107万個の対人地雷、25,158個の対戦車地雷、281万個の不発弾などが発見されました。一方、今後除去活動が必要な土地も約2,000㎢残されています。


これまで30年近くかけて地雷除去された土地と同じくらいの面積がまだ地雷原として残っています。地雷除去の技術が発展したことで、除去活動も飛躍的にスピードアップしました。それでも、今後も地雷除去への支援は重要です。

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACは地雷除去をはじめとした地雷廃絶活動を続けています。わたしたちの募金活動にご協力をよろしくお願いいたします。くわしくは以下のリンクをご覧ください。

(写真:内田和稔、ピースボート)

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