地雷被害者を救い続ける被害者のエンさん

ハック・エン 1960年生まれ
義肢装具士

私たちが出会った、地雷被害者であり、今は義足を作ることで他の被害者に生きる希望を与えているハック・エンさんの経験をご紹介します。内戦中に地雷被害に遭い、一度は希望を失ったエンさん。義足を手に入れたことで生きる勇気も手に入れました。


私はプノンペン周辺のカンダール州で生まれ育ちました。小学生の頃は勉強するのが大好きな子どもで、私たち家族は貧しかったけれどみんなで助け合って生活していました。でもベトナム戦争の影響から私たちが住む周辺でもアメリカによる爆撃が徐々に激しくなり、プノンペンへ移住しました。

私が15歳になった1975年、ポル・ポトが政権を握りました。私たちはプノンペンから田舎へ強制移住させられた後、子どもだけ集められ朝から晩まで働かされる生活が続きました。その頃は水っぽいお粥しか食べ物を与えられずに病気になる人や亡くなる人が多くいました。私は8人兄弟でしたが、ポル・ポト時代とその後の内戦中に4人の兄弟を亡くしました。

その後は難民キャンプで生活していました。そして難民キャンプの近くの山で木を切って戻ろうとした時、地雷を踏んでしまいました。一緒にいた人が木の蔓で吹き飛んだ足を縛り、私を病院まで連れて行ってくれました。病院にいても外からは戦闘の音が聞こえ、私はここで死ぬのだと思っていました。手術をして左足の膝上から切り落とされました。足を失い、私の人生はもう終わったと思いました。

それからは杖を使って生活していましたが、ある日友人が持っていた義足を見て、木とタイヤを使って自分で義足を作ってみました。すると杖よりもうまく歩くことができるようになりました。これをきっかけに私はもう一度生きていこうと決心することができました。義足を着けることで普通に歩け、何でもできるようになります。生きる勇気が湧いてきました。そして私が器用に義足を作るのを見ていた人がNGOでの義足作りの仕事を紹介してくれました。プノンペンに移り、義肢装具士の学校で勉強もし、現在は義足を無料提供するNGOで働いています。

これまでに多くの地雷被害者の患者に義足を作ってきました。私がそうであったように多くの地雷被害者は生きる希望を失い、心を閉ざしています。でも患者は同じ経験をしている私とは安心して接してくれます。また、私には自身の経験からどこに痛みを感じるのか、どんなバランスで義足を作れば良いか分かります。一度私が作った義足を使った人が、また私に作ってほしいと訪ねてくることも少なくありません。私がそうであったように義足を着けることで生きる希望を持ってくれる事がとてもうれしいです。

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