ハタチの校長先生

ピースボート・スナハイ小学校

P-MACは昨年、地雷を除去した土地に「ピースボート・スナハイ小学校」を建設しました。現在は221人の子どもたちが通っています。

それ以前にも村には学校がありましたが、村人が小さな教室を手作りして、ボランティアで教えてくれる先生を探し出して小学校を運営していました。

子どもたちが小学校に入学する年齢もまちまち、勉強道具もなかなか手に入らない、貧しいために学校に通うことができない子どももいるので、学年も学力に合せて少しずつ4年生クラスができて…5年生クラスができて…そして新しい小学校が完成した昨年、ついにはじめて6年生クラスに進級した生徒が4人いました!

若い先生たちが活躍しています

その子どもたちを教えているのは5人の先生たち。みんなとても若い先生です。1~4年生までは4人の先生がそれぞれのクラスを受け持ち、もう1人の先生が5~6年生(あわせて8人)を受け持っています。

写真はその先生たち。そして5~6年生の担任兼校長先生が左に写っている男性です。二十歳のパウ・ソッキーア先生です。

カンボジアでは、1975~79年のポル・ポト政権時代に教師などの知識人が虐殺の対象となり、その後も内戦が続きました。その影響から今でも教師の不足が続いています。多くの学校で教師になる研修を受けて先生になった若者が多く活躍しています。

ソッキーア先生も教師の養成学校を18歳で卒業して、先生になりました。私たちがつくった小学校が開校した2016年11月に校長先生として赴任してきました。

教師の確保が難しい村の学校

スナハイ村は元々ジャングルの中にできた小さな村で、他の地域からも離れています。このような地域の学校では先生として赴任しても長期間そこで暮らすことが難しく、短期間で去ってしまう先生もいます。そのため農村部の学校にとっては教師を確保すること自体が難しいこともあります。

先生と言っても20代の若者です。友達と遊べるような場所やお店もなく、他の地域に行くのも簡単ではない村で暮らすことは簡単なことではありません。そのことをソッキーア先生に尋ねると、「この村は生まれ故郷によく似ているから私にとってはここで暮らすことはそんなに大変なことではありません」と言います。

ソッキーア先生は同じ州内の小さな村出身なので、村の環境にはなじむことができました。ただ、商店などはほとんどないので日々の食事については大変なこともあります。長期休みに実家に帰った時には家族がつくった米をバイクにいっぱい積んでスナハイ村に戻ってきます。それでも足りなくなることもあるので、そんな時は生徒たちの保護者から分けてもらうこともあるようです。

「それでもこの村で先生を続けていきたいし、ここの子どもたちのことが大好きです」と笑顔で話してくれました。

(写真:ピースボートのツアーで学校を訪れた際、日本の子どもたちからの絵を受け取るソッキーア先生)

小学校で交流と支援を続けています

P-MACは学校ができた後もスナハイ村の地雷除去を支援したり、学校で必要な支援を続けています。また、年に1~2回開催しているスタディーツアーでもこの学校を訪れて子どもたちと交流しています。今年からはこの小学校で子どもたちの健康を守るための手洗いプロジェクトもはじめました。そのような活動を続けるにも先生たちとの協力がとても大切です。先生たちと一緒によりすてきなピースボート・スナハイ小学校をつくっていきたいと思います。

ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACがおこなうカンボジアの地雷除去など、地雷廃絶のための活動をご支援ください。

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加入者名   ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MAC
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