現在航行中の第81回ピースボート地球一周の船旅では昨年11月27日~30日まで一度船を離脱してカンボジアを訪れる「カンボジア地雷問題検証ツアー」を開催。地雷被害者や地雷原に暮らす人々と交流し、地雷除去の現場を訪れました。ツアーの参加者が書いてくれたレポートが船上から届きました。2回に分けてご報告します。
キリングフィールド
まずはカンボジアに地雷が埋められた背景、カンボジアの歴史を知るためにポル・ポト政権時代の虐殺の場であったキリングフィールドを訪れました。当時はそこかしこに死体がうち捨てられ、辺り一面が骸骨の山となったという、映画「キリングフィールド」の衝撃的な一場面ともなった現場の一つです。沢山の被害に遭われた方々の骸骨を安置してあるものの、今は勿論かつての凄惨さはなく、穏やかな時が流れていました。
園内に掲示された当時の生々しい写真や絵を見ながら、ガイドの方の話に耳を傾け、犠牲になった人々の無念さを思い、遣りきれない思いに皆胸がいっぱいになりました。涙も出ました。「ここで記念写真を撮ろうという気になれない」私たちの中に、自然とそんな気持ちが湧き上がりました。けれど、「私たちは今、まさにあの歴史の地に立っているのだ。あの悲劇の地を忘れてはいけない」その為にも、写真を残そう。そう思い、写真を撮ることにしました。
アンコール障がい者協会(AAD)
内戦中に地雷被害に遭って両足を失い、現在は他の地雷被害者たちの自立を支援するNGO「アンコール障がい者協会(AAD)」代表を務めるセム・ソワンタさんにお話を聞きました。
「皆さんが欲しい物は、私も欲しい。皆さんが美味しい物を食べてお腹一杯になりたいように、私達障害者も美味しい物を食べてお腹一杯になりたい。」
それは、あまりにも素直で当たり前すぎる言葉でした。地雷によって、その「当たり前」が奪われてしまった人々。犠牲者である彼らがなぜ差別をされて生きていかなければならないのか・・・。
国からの支援が望めない中で、自ら「障害者の人権を」と立ち上がったソワンタさん。自分の境遇をただ嘆くのではなく、障害者だからと卑屈になるのではなく、胸を張り、自立を目指し、他の障害者の方々を励まし続ける彼の存在は、どれだけ多くの人の支えとなっているでしょう。
AADの人々には、笑顔と笑い声と希望がありました。彼らにとって望ましい支援の形とは何なのか、今後の支援のあり方を見直していく必要性も考えさせられました。
カンボジア地雷対策センター(CMAC)
P-MACの地雷除去募金「カンボジアから地雷をなくそう100円キャンペーン」で集まった募金で、実際に地雷除去を行っているのがCMAC。CMACシェムリアップ本部で今までの活動報告と、現在の地雷除去活動について伺いました。
自国からの援助は乏しく他国からの支援に頼らざるを得ないという状況の中で、一番の支援国が日本であり、とても感謝しているとのことでした。
内戦が一応の結末を迎えておよそ22年。しかし地雷原はまだまだ残っており、今なお地雷に苦しむ人々が多数います。戦争は決して過去のものではありません。
当時の戦争を直に知る人々が高齢化してきているなかで、地雷除去に従事する人々の高齢化と減少。後継者の育成と、地雷除去の費用に係る問題が、今後の大きな課題であるというお話でした。
CMACにはカンボジアで見つかった地雷や不発弾を展示する地雷博物館もあります。これほどまでに様々な種類の地雷があるのだと驚きました。
簡単な物では1コ3米ドルで作れてしまい、それは爆発させるまで、半永久的に効果的なのだそうです。この1つひとつが、罪も無き1人の人間の未来をいとも簡単に奪ってしまうのです。皆食い入るように、展示されたそれらを見つめていました。
地雷除去作業中には地雷除去員が被害に遭うこともあります。博物館には作業中に地雷が爆発して亡くなられた方が着用していたプロテクター一式も展示されており、厳粛な気持ちになりました。
次回はP-MACが地雷除去支援した村と地雷除去現場をご報告します。
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